運は強いほうだと思う。
 摂政という地位を手に入れたのは権謀術数の成果だけではなく、時世の流れが味方した要因が大きい。そして作った十七条憲法によって、小野妹子という人材をも手に入れることができた。冠位十二階がなければ彼は朝廷に上がることはなく、一地方豪族に留まっていただろう。
 最初はただのパフォーマンスだった奇抜な行いは、権力と財産への執着渦巻く朝廷に飽き飽きした頃から板についた。お疲れでしょうと見せかけだけは労いの声をかけてくる周囲の人間の一人一人の、冨と名誉を奪う方法が瞬時に頭に浮かぶようになってから。それはまだ幼いと云われる年齢の頃だった。今ではもうそんな見方はしないけれども、どうしたって人の目の奥にある様々な欲望や執着を見てしまう朝廷にはいたくなくて、野山に遊んでばかりいた。
 凡人であったならきっと容易に幸せになれるのだろう。何しろ彼らは衣食住足りてその上で二三の余分があればいい。しかし王族である私にはそんな貧相な欲望さえも許されない。生まれながらにして全てを与えられ、生きている限りその享受が許される。少し頭を働かせれば人心さえ意のままになる。仏教において人間の三毒として挙げられる貪欲、瞋恚、愚痴なんて持てよう筈もなく、聖人君子として崇められるのは当然の成り行きだった。勿論、《ただし馬鹿》という但し書きはあったけれども。



 最初の遣隋使任命の際はただ、持って来られた任命書に印を押しただけだった。小野妹子が有能だということを知ってはいたが、さすがに下級豪族一人一人の顔と名前は一致しない。後日挨拶にやってきた彼を見た、私の顔はさぞかし見物だったろう。
 まさかこんなに若いとは。
 目が清らかだった。不敬になるからと私を直接見ることは禁じられているので、彼は目を伏せていたけれど、堅くなくて良いと云えば見事なまでに真っ直ぐに見詰めてくる。この豪胆さ。地方豪族だと云うからきっとさぞかし虐げられているのだろうに、そのことに対する怒りや卑しさの欠片も見当たらない。王族との謁見に対する気負いも緊張も見えない。
 十度船を出して一度でも辿り着けば良いとされるほど、隋への旅路は危険である。あたら若い命を散らせるかこの国は、この私は。その重さを改めて突き付けられて、声が震えないのが不思議だった。
――― 妹子、妻や子供はいるの」
「はい、おります」
 そう答える彼の目に迷いはない。生きて帰る覚悟なのか、生きて帰れなくても良いと覚悟したのか。
 この子なら絶対に、生きて帰る覚悟だろう。
 笑った。
「うん行っておいで妹子」
「はい」
「私も行くから」
「はい……ってなにを仰るんですか!?」
 後々と比べれば随分丁寧な言葉遣いで、同じように妹子は突っ込んだ。私は特製聖徳ジャージを渡して着るように命じた。船出の日、風の強い甲板の上で、震えながらも袖無しのジャージを脱ごうとしない妹子に思わず笑うと初めて殴られた。大丈夫だよ私は運が強いからと云うと、不思議そうに、きょとんとしていた。





 どうやら私達の生きるこの世界には居場所や飢餓や冨や名声だけではない欲望が存在するようだ。
 一人の人間としてただ君に見詰められたいという私の唯一の欲望は、権力に虚飾された《聖徳太子》を見てうっとりするなんて、許さない。










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2008.12.10.
なんかいろいろ詰め込み過ぎました。
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