規則正しく巡って来たその日の夜、眠りに就く前に閻魔は寝室に鬼男を呼び寄せた。
「鬼男くん」
「はい、大王」
「明日からも、よろしく」
「こちらこそ、どうぞ、よろしく」
「……おやすみ」
「おやすみなさい。……朝までずっと、ここにいます」
 うん、と小さな声で、幼児のように閻魔は応えた。鬼男の顔を一瞬、しかしまじまじと異様な熱心さで見詰めてから、瞼を閉じた。鬼男はベッドにさえ手も触れずにその様子を見詰めていた。





1.夢の中では光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう





 閻魔大王の眠るのは、純白のシーツに燃えるような深紅のびろうどの映える、格調高い西洋風の天蓋付きベッド。人間達の信仰と想像によって成り立つこの世界に来る朝の、眩しい光が、今日はカーテンを開け放した彼の部屋に満ちる。すると目覚めることを促され、それでもまだまどろんでいたいと粘る彼の、幼い唸り声が部屋の空気を揺らす。それを合図にして、いつの間にか椅子に座ったままの姿勢で眠っていた鬼男が眼を覚ます。ああまた始まるのだ、と思いながら。
「おはようございます、大王」
「……んー、あと十分、……」
「ったく何度逆行しても寝汚いのは変わらないんだな!」
 ちっと大きく舌打ちをして、閻魔の体から布団を勢いよく剥がす。ぐしゃぐしゃに乱れたシーツの上にあるのは、昨夜の半分以下のサイズになった閻魔大王だった。ただ縮めただけではない、顔の造りや、手足の指の大きさや、その他諸々のバランスが全て変わっている。――― 子供に、なったのだ。
 永遠に死ぬ終わりを赦されない閻魔大王。元人間であった彼に、永劫は拷問でしかない。勿論それが生前大罪を犯した彼への罰なのだけれど、彼に罰を与えた何者かは飽き足らず、永遠と呼べる時間が過ぎた頃に彼の記憶を白紙に戻しては、彼が尽きることのない――― と彼が思っている――― 時間に苦痛を感じる様を愉しむ。冥府にいるのは鬼と死人だけだから、誰も彼に同情しない。
 記憶と共に肉体に宿った時間さえも消去される。それがために彼は白いシーツの中で時を逆行し、胚となり、胎児となり、幼児となる。目覚めるときには知覚と思考の能力を持つ程の年恰好となっている。
「さあ、起きて下さい。すぐに裁きを始めてもらいますよ」
「えー、なにもうぅー……きみ、だれ?」
 幼い姿の閻魔大王は、ベッドの上で怪訝そうに眉をひそめる。すると少し、泣く子も黙ると恐れられる閻魔大王らしい威厳が出るから不思議なものだ。自分が誰かも知らないくせに。
 幾度もこの退屈な儀式に付き合わされてきた鬼男は、永劫ではなくその退屈さに、悪趣味さに、ひとりだけ無垢な大王に、鬼生来の嗜虐癖を揺り動かされる。
「あなたは閻魔大王、ここ冥府の王として、生前の行いを鑑みて死者を天国と地獄に振り分ける裁きを行う御方です。私はあなたの秘書の、鬼男と申します」
「だいおう? ふふ、なんか強そう!」
「ええ、この冥府で一番強いですよ」
「やったー」
 この時期の彼は常に元気よく、はしゃぎまわる。喜怒哀楽が激しく、次の動きが予想できない。――― 生まれ変わる前の彼と、あまり変わらない。だから幼い彼を見ると、どことなく、時間に愛想を尽かしてからの彼は、この時期の彼自身を模倣しているのではないかと感じるときがある。時間にも空間にも厭いていない、まっさらの彼。彼か、自分か、もしくはどちらもが人間だったら、こういう彼を愛してみたいと思う。
 それから裁きの間に行き、彼に手順を教えると、何も知らない彼はすぐに手順を飲み込み、張り切って裁きを行った。今、彼は死者を裁く以外何も知らない。生きる術も死ぬ術も、それらを望む術がないことさえも。だから彼が知識を吸収するのは、海綿に水が浸み込むようなものなのだし、彼が裁きに罪の意識を覚えるのは、もう少し先の話になるのだ。
 裁きが終わると彼に冥府を案内する。彼は説明する前からあれやこれやに節操無く興味を示すので、鬼男は少し疲れ、冥府の記憶くらいは残っていればいいのにといつも思う。それは焦る気持ちに似ている。
 閻魔の記憶がリセットされても、鬼男の記憶は残ったままだ。幾度も彼と最初からやり直す。鬼男はそれを厭わない。鬼だからなのか、それとも既に彼を愛しているからなのか。それは誰にもわからない。
 けれど鬼男はいつも終わりというものを意識する。いつか彼が自分を忘れる日のことを考えている。閻魔は自分の記憶に果てがあることをまだ知らないから、それは鬼男の役目だった。いつか終わる日までのながいながい、人ならざる者でも永遠に感じるような永い時間の、絶え間ないカウントダウン。さん。に。いち。ぜろ。――― 彼の喪失はいつ? 一夜明ければまた始まり。産声を聞いて鬼男は初めて眠りに落ちる。
 彼に終わりを告げる日はまだ来ない。










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≫続く。


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