7.
一心にタクトを振っていると、不意に音が乱れた。不協和音が耳にうるさい。一人や二人ではない、オーケストラ全体が演奏から気を逸らした。
「どうしたの?」
指揮台の上から見渡すと、全員が同じ方向に視線を向けている。要を通り越して、その更に先。振り向くと、講堂の扉が開け放たれ、外の光が差し込んでいた。
そこに立っているのは琴宮だった。
「琴宮くん?」
驚いて、要は壇上から呼びかけた。なぜ彼がここに? 強烈な違和感が要を襲い、久しぶりに見る琴宮の姿に目眩がしそうだった。
「カナメ、知り合い?」
奏者に尋ねられてやっと我に返る。
「ごめん、ちょっと休憩!」
飛び降りるように琴宮に駆け寄った。琴宮も要に近付くと、要が尋ねるよりも早くその手を握った。
「行くぞ」
「え?」
強い力で腕を引かれる。
「えっ、琴宮くん?」
「ちょっと借りるよ」
要ではなく、その後ろのオーケストラメンバーに向かって琴宮は言う。そのうちの何人かが笑って手を振ったのを目の端に捉えるも、抗議する暇もなく講堂から引っぱり出される。
残されたオーケストラのメンバー達は顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「カナメの恋人って、ちょっと強引ね」
「ちょっと、琴宮くん! どこに行くの?」
まだ指揮をしなければならないのに、繋がれた手の感触がそれを拒む。どうしてもその手を振りほどけなくて、早足で前を行く琴宮に呼びかけても答えてくれない。振り返る気配もないのには、さすがの要もむっときた。
「手が痛いなー!」
「すまない」
くるりと琴宮が振り返り、要に向き直った。
「強く握りすぎたかな」
心配するような瞳で間近に見詰められると、言葉につまる。ドイツ語で「誘拐だ!」と叫ぼうかとも思っていたのだが、しなくて良かった。
「あ、うん、大丈夫」
「そうか、なら良かった」
先程よりも優しく手を握り直し、琴宮は歩調を緩めて要と並んだ。どんな表情を浮かべているのだろうとその横顔を伺うと、たちまち気付いた琴宮が笑顔を返した。
一月振りのその笑顔に、要の心臓が跳ねた。
もしかして、と思う心を、慌てて理性が否定する。期待などするなと言い聞かせ、微笑を浮かべた。
「ねえ、琴宮くん――― 」
「着いたぞ」
いつの間にか、二人は教会の前に来ていた。要が一人で歌っていた教会。前もって借りていたのか、琴宮は鍵を開けて中に入る。戸惑いながらも続いて中に入り、扉を閉めた。ぎいと音が鳴る。
どういうつもりなのだろう?
琴宮の意図がわからない以上、自主的に動くことができず、彼の行動を見詰めるしかない。琴宮は教会の中をまっすぐに進み、教壇の前で立ち止まった。振り返り、要を手招きする。
「……?」
訝しみながらも近寄ると、琴宮は要の前に跪き、その手をとった。その動作があまりに自然で洗練されていたので、驚くのが遅れた。その隙に向けられた真っ直ぐな視線から、目を逸らすことができない。
「要、私は名探偵だ」
「う、うん」
「私は誰も気付かない真実に気付くことができる。その真実を守ることに人生を懸けている。だから君がその笑顔の裏にどんな気持ちを隠しても、私は必ずそれを知ることができる。どんなに隠そうとしても無駄だ。私は君の真実を、人生を懸けて守ると既に決めている」
要が隠そうとしたこと。それは、つまり。
「――― 君は指揮者だろう?」
フフ、と琴宮がいたずらっぽく笑う。
「ならば楽譜から作曲者の意図を読み取るように、オーケストラの隅々にまで気を配るように、音楽を愛するように、私のことを愛してくれ。私が不可能犯罪に倒れることのないように、君が私を見ていてくれ。そして君が音楽のために捧げるその両手を、時々私の自由にすることを許してくれ」
そっと握られた手の甲に、琴宮が柔らかく口付ける。その優雅な仕草に要は見蕩れ、上目遣いで見詰められる視線に我に返った。
「それって」
「好きだよ、要。神に誓って君を愛する」
言いかけた言葉を遮って、琴宮は立ち上がり、要を正面から見詰める。なんだか今日は、最後まで台詞が言えない日のようだ。
「遅くなってすまない」
にこりと笑む琴宮に、敵わないなあと要は呟いた。彼を忘れようと一人努力していた日々は、一体なんだったのだろう。琴宮を見返すと、彼は返ってくる答えが一つであることを確信しているように、自信に満ちた笑顔を浮かべている。
その笑顔に、思わずつられた。大した自信だなあと呆れてしまうけれども、それでこそ琴宮だ。
そう、この自信家な笑顔が、要は誰より好きなのだ。
琴宮に目を合わせ、とびっきりの笑顔を浮かべた。どんな感情も彼にはお見通しだというのなら、最初から全て見せてしまおう。
「よろしく、琴宮くん」
「よろしく、要」
幸せになろう。
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2012.04.27.
完結です。
長々と読んで下さった方、本当にありがとうございました!
琴宮さんも要さんも大好きです。
完全に捏造ですが、この二人の馴れ初めを書くのはとても楽しかったです。
お幸せに!
おまけ