好きです、と言われた声が甦る。
 何度反芻しても、それはとても信じられるものではない。





狼少年の告白






 大将、とかけられた声に、勢い良く顔を上げた。アントニオはにこりと微笑む。
「この前の依頼者さんから、報酬を頂いて来ました」
「あ、ありがとう」
 確か人探しの依頼だ、と思い出しながら茶封筒を受け取る。しかし、アントニオはなかなか離そうとしない。訝しんで見上げると、アントニオはやはり微笑んだままで、
「好きですよ、大将」
「……はいはい」
 石動は適当に受け流す。まだ信じてくれないんですか、と唇を尖らせたものの、アントニオはそれ以上食い下がろうとはしなかった。引き際を心得ているとも言える。夕飯買ってきますよ、何がいいですかと聞くので、なんでもいいよと答えて送り出した。
 もう一週間くらいにはなるだろうか。アントニオが切羽詰まった顔で、石動に告白をしてきたのは。
 ――― 告白、ねえ。
 一人きりになった事務所で、石動はぎいと椅子を軋ませる。
 本当に告白、なのだろうか。実を言えば、全くそうは思えない。若く利発なアントニオが、名探偵であるとは言え、中年で、見てくれもよくない石動にどうして懸想するだろうか。一つ屋根の下に暮らし、猫で言えば発情期にあたる時期を石動と共に過ごしてしまったから起こった勘違い、というところではないだろうか。
 とは言え、同性愛については偏見を持っていない。敬愛するコール・ポーターも同性愛者であり、人間が人間を愛するときに性別は障害にならないというのが石動の持論だ。だからアントニオが男を好きだということには、驚きこそすれ、嫌悪感などは抱かない。問題は、その対象として石動が不適当であることだけだ。
 もっと若く、美しく、男らしい男なんていくらでもいるだろうに。
 それとも、おじさんが好みなんだろうか? その可能性は捨て切れない、と気付いて、石動は頭の中で先程の考えを訂正する。問題は、なぜこれまでそんな素振り一つ見せなかったのに、今になって打ち明けたかということだ。それがわからない以上、アントニオにからかわれていると判断せざるを得ない。
 一週間前、何があっただろうか。思い出しても、これといったことはなかったような気がする。朝起きて、石動は調査に行き、アントニオは留守番。帰ってくると、―――
「ああ!」
 もしかして、これだろうか? 思わず大声を出し、椅子から立ち上がる。そのまま、記憶を掘り起こす作業を続ける。
 調査から帰ってきた石動は、事務所の扉から飛び出してきたアントニオにぶつかりかけた。大将、と呼ぶアントニオの顔が、見る見る内に安堵に染まった。駅前で事故があったって聞いて、心配で。狼狽を隠すように言い訳するのを聞きながら、確かに大騒ぎだったなとぼんやりと思い返した。そんな石動の反応の薄さに怒ったように、ねえ大将、心配したんですよ、本当に――― アントニオが言った。その夜だ。痛みに堪えるように顔を歪めて、アントニオが石動に迫ったのは。
『好きです、大将』
 あの言葉は、昼間の狼狽から出た言葉だったのか。石動の死を連想したことでその恋情に気付いたのだとすれば、告白のタイミングにも合点がいく。
 もしかして、本当にぼくのことが好きなのか?
 そう考えるといても立ってもいられなくなり、事務所の中をわけもなく歩き回った。アントニオが、ぼくを好き? ぼくはどうすればいいんだ?
 どこまで買い物に行っているのか、アントニオはなかなか帰ってこない。おかげで石動の思考は止まらない。
 嫌なのか、と自分に問いかける。石動自身はヘテロで、その上で同性愛者への理解を持っているつもりだ。自分が同性愛の対象になることなど、考えたこともなかった。しかし、自分の中のどこを探しても、アントニオが自分に向ける気持ちや、自分が彼とそういった関係になることへの嫌悪感はないことに気付く。
 では好きなのか、と考え始めると混乱した。思考の入り口として、あのとき彼が置かれた状況に、自分を置いてみる。
 もし、アントニオが死んだら?
 すぐに答えは出た。嫌だ、と強く思う。アントニオのいない生活なんて、考えられない。
 立ち尽くし、ぎゅっと目を瞑る。いつの間にか、こんなにも執着していたなんて。眼鏡の重みを鼻梁に感じ、瞼の裏で光が瞬く。石動は冷静さを取り戻した。
 目を開くと、いつの間にか室内はすっかり暗くなっている。床に積まれた本やCDの塔を崩さないよう足元に気をつけながら、電気のスイッチまで向かう。ぱちん、とスイッチを上に向けると、事務所に明かりが満ちる。
 ――― それにしても、遅い。アントニオのやつ、どこまで行っているのだろう。
 そのとき、騒々しい音を撒き散らしながら、救急車が外を駆けていった。
 まさか。
 思考の一部は冷静に否定するも、残る大部分は悪い予感に突き動かされた。先程の想像が脳裏にちらつく。もし、アントニオが死んだら? 背筋がぞっと凍り、顔面から血の気が引くのがわかった。
「アントニオ!」
――― はい?」
 事務所の扉を開くと、両手に荷物を抱えたアントニオが立っていた。その傷一つない顔を、石動は呆然と見詰めた。
「お、かえり……」
「ただいま帰りました」
 不思議そうにしながらも、アントニオはさっさと扉の内側に入った。重そうな荷物をテーブルに置きながら、安売りしてたので、ついたくさん買っちゃいましたと説明する。
「なあ、アントニオ」
「なんですか? あ、コーヒーも買ってきたんですよ、これでやっと濃いコーヒーが飲めますね」
「ぼくもおまえが好きだよ」
 ごとん、と大きな音がして、コーヒー粉末の容器が床に転がる。
「……本当だって」
 聞かれる前に先手を打ったつもりだったのに、アントニオはすぐさま「嘘だ」と言った。
「からかわないでくださいよ」
 石動はもう一度繰り返した。
「本当だって」
「今までさんざんアタシの告白を受け流してきたのに、今更そんなこと言われたって、信じられませんよ」
 特に傷ついた様子も見せず淡々と言うアントニオに、これまでいかに彼を傷つけてきたかを思い知った。吹っ切れたかのように毎日愛を告げる彼が、どれだけ痛みに耐えてきたのかも。それを償う覚悟はできている。
「悪かった。でも、本当だ。さっきだって、おまえが救急車で運ばれたんじゃないかと思って、慌てて飛び出した」
「……信じられません」
「ずっと傍にいて欲しい」
「……信じられません。情が移っただけじゃないんですか」
「じゃあ他になんて言えばいいんだ!」
「……もう一回」
 埒があかなくなって叫んだ石動に、アントニオはしんとした声で言った。
「もう一回言ってくれたら、信じます」
 凪いだ湖面のようなその目が、石動をじっと見詰めた。感情を押し殺した顔が、緊張しているのがわかった。
 その緊張は石動にも伝わり、落ち着くためにゆっくりと呼吸をした。
「好きだよ、アントニオ」
 その途端、石動の体に重みがかかる。アントニオが抱きついてきたのだ。そのままぎゅう、と抱きしめられる。
「本当なんですね」
「うん」
「こういうことしても、本当にいいんですね」
「いいって」
「大将」
 体格差のせいで、抱きしめられると全身がアントニオにくるまれたようになる。それが途方もなく石動を安心させた。
「好きです」
「うん」
 頷くと、ぼくもって言って下さいよ、とアントニオが駄々をこねる。めんどくさいなあ、と思いながらも、それも愛しいような気がした。





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2012.04.18.
twitterでリクを頂いた、
アントニオがなかなか本気にしてくれないアン←石です。
アン→石からのアン←石からのアン石。
どちらも少年という年ではないですが。