俺達、という言葉が三人ではなく四人を指すようになったのは、三年の秋のことだった。大きな校門を抜けたところにある銀杏並木が鮮やかな黄色に染まる中、『俺達』は学舎に背を向け近くの雀荘へと向かう日々。もっとも、入り浸っているのは田口だけだ、と他の三人は主張するだろうが。
大学の構内をふらふらと駅の方へと抜けていく。春には溺れるほどの人がひしめき合っていたキャンパスも、秋になればややまばらだ。田口先輩、と呼ばれた気がして振り返ると、四人目の面子の彦根新吾がベンチの向こう側に立っていた。童顔に銀縁眼鏡、右手の指にイヤホンのコードを引っ掛けた、二学年下の後輩である。入学早々雀荘に入り浸る、見所のある医学生だ。
彦根は身軽にベンチを乗り越えて、田口の隣に並ぶ。
「これからすずめですか?」
「いや、昼飯」
「もう三時ですよ?」
「寝てたら食べ損ねちゃってさ」
笑ってみせると、彦根は呆れたように田口を見詰める。
「先輩って、本当に駄目ですねえ」
「まだ授業があるのに雀荘に行くおまえとどっこいどっこいだと思うけど」
「いやいや、僕はもう今日の授業は終わりましたよ」
え? と思わず彦根を見ると、逆にえ? と見返される。自堕落な自分を少し恥じた。
「何食べに行くんですか? 実は僕も食べ損ねちゃって、これからラーメンでも食べようかな、と思ってたんですけど」
「あ、そう? じゃあ俺もラーメンにしよっかな」
特に何を食べたいわけでもなかったし、ラーメンと聞いた途端にラーメンが食べたくなってきた。この前麻雀の帰りに速水と寄ったラーメン屋がうまかった、と思い出し、最近の記憶のほとんどが雀荘で友人達と過ごしたものであることに気付く。先程よりも深く反省する。うん、大丈夫、今日はもう授業は入っていない。確認して安心をしたところで、今日受ける筈だった授業の間ずっと、病院内で見つけた穴場で眠っていたことに気付く。すぐに気付かなかったことにした。
その店には行ったことがないらしい彦根を誘導しながら歩く。目端が利く奴なので、こんな風に田口が先に立つことは珍しい。
「おまえ、味噌好き? 味噌が有名らしくて」
「好きですよ。一番好きなのはとんこつですけど」
「あーわかる」
「え、何がですか」
「おまえとんこつ好きそう。とんこつ顔っていうか」
あはっ、と彦根が盛大に吹き出した。苦しそうに体を折り曲げて、むせながら笑っている。
「とんこつ顔?」
上目遣いに見上げる顔が幼いのに、愉悦に満ちた目がこちらを馬鹿にしているようでむかついた。ぺしんと頭をはたいてやると、あいてと小さくぼやいて体を起こす。でもまだにやにやと笑っている。
「田口先輩って面白いですよねえ」
「そーかそーか。おまえはもう少し先輩を敬う心を持ちなさい」
「……とんこつ顔……ふふっ」
「それ以上笑うならおまえのおごりな」
言った途端に真顔になるのが可愛くない。
「あ、でも、お詫びと言ってはなんですけど、速水先輩と島津先輩を負かすんなら協力しますよ」
「それっておまえがやりたいだけだろ」
ジト目で睨むと、否定はせずにえへへと笑う。可愛くないからやめなさい。
速水と島津は、田口と同じ三年生。最初から友人だったわけではなく、学校から近い雀荘『すずめ』にそれぞれ足を運ぶ内に同じ卓を囲むことが多くなり、次第に雀荘以外でも会うようになった。今では、授業で見かければ隣に座るくらいの仲だ。
彦根も同じく、今年になってから『すずめ』の固定客になった一人だ。合気道部でうろついていたところを剣道部の速水と柔道部の島津がつかまえて引っ張ってきたのだが、先輩相手にも物怖じしないのであまり後輩らしくない。授業のとり方などを相談してくるあたり、自分よりは真面目だな、と田口は思っている。
今では必ず四人揃って雀卓を囲む速水、島津、田口、彦根のことを、人は『すずめ四天王』と呼んでいるらしい。学業を疎かにしているやさぐれ医学生四人に、なんともものものしい名前がついたものだ。どうせ馬鹿にされているのだろう。
「田口先輩、いつも速水先輩にカモにされてるじゃないですか。たまには勝ちたくありません?」
「けしかけるなよ。まあ、そりゃそうだけど」
「でしょう? ここは一つ僕とタッグを組んで」
話しているうちにラーメン屋に着いていた。飯時には混んでいる名店なのだが、昼時はとうに過ぎているため、店内に人は少なさそうだ。磨りガラスの引き戸をがらりと開けると、へいらっしゃいと店主のおやじの声がかかる。
「味噌二つ……」
のれんを押し上げ、店内に足を踏み入れながら注文する。段差に躓かないように足元にやっていた視線を上げると、見知った二つの顔と見詰め合ってしまった。
「……速水、島津」
「よお、行灯」
島津より一拍早く、速水が片手を上げて挨拶する。
「おまえなあ、授業さぼるのはいいけど、授業終わったら帰って来いよ。今日すずめに行くって約束してただろ。おまえ待っててこんな時間に昼飯だよこっちは」
「え、約束してたっけ」
はあと溜息を吐かれる。今日はレポートのおかげで徹夜明けだったから、朝方の意識が朦朧としているときに約束したのかもしれない。全く覚えていない。
「島津も?」
「俺は教授に質問してたら遅くなった」
さもありなん。島津も彦根と同じく真面目で、授業はあまりさぼらないし、よく教師に質問している優等生だ。
「え、先輩達いるんですか?」
後ろで彦根が喚くので、店の入り口に立ちっぱなしだったことに気付く。店内に足を進ませると、彦根がほっとしたように後をついてくる。こういうところは、可愛い、かもしれない。
島津と並んで座る速水の隣に田口が座り、その隣に彦根が座る。揃ってしまえばなんてことはない、いつも通りのすずめ四天王の出来上がりなのだった。
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2013.03.14.
いつものすずめ四天王。
春コミで出すすずめ本の下書きでボツになったものをリサイクル。