春の匂いがする。


「春の匂いがするねえ」
 窓を開け放って夜風に当たっていたのを、セブルスはむっとして振り返る。
「ん?」
 ジェームズが邪気のない顔で見返すので、セブルスは仕方なく「そうだな」と同意した。何も知らないジェームズは目を細めて続ける。
 暦は三月。時は二時。月が明るくて眠れない二人。
「ホグワーツに入る前の年に、家族で苺狩りに行ったことがある。朝早くから準備して、でも、みんな苺のためにお腹を空かせようとして朝食は食べなかった。農園に着いてみると真っ赤な苺がたくさん、それをいくらでも採って食べて良いって言うんだから本当に驚いたよ。みんなが笑い合って喋りながら苺を摘んでいるのに、僕一人集中して黙りこくって苺を摘んで食べてを繰り返した。百個食べようと思ったんだ」
「無茶だな」
 セブルスがくすりと笑った。うん、とジェームズも目を合わせて微笑む。
「だから途中でもう無理ってくらい満腹になって、帰る頃には腹痛まで。家族は呆れて、おいしいと言って苺を食べるのを僕は布団の中で口惜しい思いで聞いてた」
「おまえはよっぽど苺が好きだったんだな」
「そう。そして今もね」
「僕はそんなに好きじゃない」
 桟に体を預けてジェームズに向き合う。彼はセブルスのベッドに仰向けに寝そべっていたが、それを聞くと慌てて体を起こしてきた。
「うそ!セブルス苺嫌いなの?」
「表面の粒が苦手なんだ」
「あんなに美味しいのに……!」
 そう言われても、苦手なものは苦手なのでどうしようもない。味にしたところで酸っぱいばかりでそんなに美味しいとは思えないのだった。
 柔らかな風を頬に受けて、セブルスはジェームズをじっと見詰めた。ジェームズはベッドの上で坐ってしばらくじっと宙を見詰めている。物を考えるときの彼の癖だ。それをセブルスはちゃんと知っている。やがてジェームズは何か思いついた様子で勢いよく起き上がると、セブルスに顔を向けた。二人の視線がばちんと合って、恋人が自分を見ていたことを知るとジェームズはにっこりと笑った。
「セブルス、僕が美味しい苺を食べさせてあげる」
「なに?」
「だから、おいで」
「どこへ?」
「うふふ」
 不気味にジェームズが笑って、杖を一振り。風がふわりと部屋の中を浚っていく。
「秘密」
 透明マントが翻り、月明かりが床に大きな影を一つだけ写し取る。





  ●





 森は暗い。仄明るく輪郭の曖昧な光が一帯を撫でるように月から降りていて、時折けものの鳴き声が遠く聞こえるほか不安なことはない。ここは禁じられた森。
 透明マントを取り去って、手を繋いで二人はヘンゼルとグレーテルの如く歩いている。
「パンがない」
 けものたちの顰蹙を買わないように小声で、セブルスは言った。
「それどころかまともな道もない。本当に迷っていないのか?」
「僕に任せなさい。ほら、足下に気を付けて」
 太い木の根に躓きそうになってジェームズの腕にしがみ付き、セブルスはその顔を見上げた。さっきからその目は一点をずっと想っているようで迷いは見られない。
「まあ、いいが」
 セブルスは渋々と頷いたが、やはり夜中に突然連れ出されたことを気に入らなく思う。この男はいつもこうなのだ。自分の意見なんかお構いなしで我を通す。
「この前ね」
 この自分より少し背の低い恋人に、ジェームズはにこりと笑いかける。
「いたずらの罰でこの森に入らされた時に、苺畑を見たんだよ」
「本当なのか?」
「うん。葉っぱを覚えていたからね」
 本当は植物学のレポートを書くときに事典でちらりと見たのを覚えていただけなのだが、そのレポートでセブルスよりも良い成績をとったことも思い出してそれは黙っていた。セブルスは気付かないで「ふうん」と感心するように前を向いた。
「だけど、僕が美味しいと思うかはわからないぞ」
「そうだね」
「まったく!」
 あははとジェームズはあくまで小さな声で笑う。
「でもきっと大丈夫だよ」
「どうだかな……」
「ああ、ここらへんだ」
 ジェームズが足を止め、今度は二時の方向に足を向ける。高い木の並ぶ間を通ると、そこはちょっとした原っぱになっていて、月光が遮るものなくそそぐ。そして足下には白い花をつけて赤い苺が群生しているのだった。
「ほう……」
 セブルスは苺を踏んでしまわないように注意深くしゃがみこむ。
「瑞々しい。……だが、まだ熟してはいないようだな」
「なに食べられないほどじゃないよ。もう奥のほうは大分赤いよ」
と、さっさと繁みに足を突っ込んでいるジェームズがセブルスを呼ぶ。
「こっちの食べてごらん」
 二人並んでしゃがみこんで、差し出すのを見ると、大きな果実の全体が真っ赤に熟れて艶々としている。
 それでもセブルスが首を引いて躊躇したのを見ると、ジェームズはくすりと笑う。
「じゃ僕が食べちゃうよ」
「ご自由に」
 先端の、一番甘いところからしゃぶるようにジェームズは齧りつく。一口で食べずに噛み切り、指先を流れる赤い果汁を舌で舐める。そうしてへたをつまんで食べきり、へたは地面に還す。
「アア、おいしい。甘酸っぱいよ。苺は甘いだけじゃあ駄目なんだ。この酸っぱさがなければいけない。この苺は全てが丁度いい。これ以上のバランスはない。アアおいしい、おいしい」
 そうして次々と苺を採っては食べていく。セブルスはそれを横目で見ながら小さな声で問うた。
「つぶつぶはあるか」
「あるよ、だけどこの美味しさに比べたら!」
「……」
「お食べ、セブルス」
 ずいと目の前に突き出されて、ぱくりと口を開けてセブルスは食べた。
「……」
「どう?」
「おいしい……」
「でしょ!」
 セブルス自身も驚いてジェームズを見詰めている。
「おいしいんだ……」
 一口で食べ切れなかった残りをジェームズの手から受けてセブルスは二口目を食べる。
「アア……、これは、美味しい」
「じゃあ今まで損してた分たくさん食べよう」
「腹を壊すのはごめんだ」
 くすくすと笑って、セブルスは自らも苺を摘み取る。葉の陰から出ると宝石のように輝く苺のなっているのはきりがないようにすら思えて、互いに摘んで食べさせたりなどする二人を青白く月が照らした。





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2006.03.17.
苺狩り。
「あーん」っていうやつがやりたかったのでした。

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