久しぶりに訪れた木更津の事務所は、秋らしい温かみのあるベージュの配色で統一されていた。一体いつ家具屋に行っているのか、また毎回のファブリックはどこに収納されているのか、いつか聞こうと思っているうちに、いつの間にか聞く機会を逸してしまった。
私達が知りあってから何度目の秋になるだろうか。心ときめく春も爽やかな夏もとうに過ぎ、冬を迎えるにはまだ早い。私達の関係にも似た、そんな季節。
「やあ、香月くん。随分ご無沙汰じゃないか。原稿は進んだかい」
木更津の出迎えはにこやかだった。原稿が進んでいないからここに来たことくらい、お見通しのくせに。まったく意地が悪い。
私は「おかげさまで」とソファに腰を下ろす。カバーが掛け替えられたばかりなのか、座り心地がぱりっとしている。皺が寄るのに遠慮して、足を組み替えるのにも躊躇ってしまう。
「それにしても、また随分思い切って改装したんだな」
「これは僕なりに季節の移ろいを感じる手段だからね。日本に住んでいる以上、四季くらいは実感したいものだよ」
「なるほどね。改装ついでにベッドも置けば良かったのに」
にやりと笑って木更津に目をやったが、涼しい顔にあっさりと流されてしまった。つれないものだ。今日の木更津はなかなか手強い。
こういうときは搦め手だ。
「最近、何か面白い依頼はあったかい?」
「そうだね……」
顎に人差し指を添えた木更津の視線が少し遠くなる。記憶を探る端正な横顔をじっと見詰めた。
考えてみれば、最後に会ってからもう一月近く経つ。今日だって私がふらりと訪れただけで、アポイントもなにもない。木更津が調査に出ていてすれ違っていた可能性は充分にある。大体、探偵事務所を経営する木更津と違って私は自由業なのに、彼の方から私に連絡をしてこないのは少しおかしいのではないだろうか。来る道々考えていたことを繰り返しても、やはり釈然としない。
季節はもう、秋から移ろおうとしているのだろうか。
しばらくして、木更津は一つの事件を語り始めた。私と雑談をしている時とは違う、冷静かつ客観的な語り口。複雑な事件の概要を端的にわかりやすくまとめる手腕は、私が小説を書く際にも度々参考にさせてもらっている。
「……というわけだよ」
「ふうん。でも、君の出番が必要なほど難しい事件かな」
私にはそれほど難しい事件とは思えなかった。警察の捜査で充分に事足りよう。木更津が引き受ける必要があるとは思えない。
「もしかして、また父君のお知り合いかい?」
「今回は違うよ。ただ、ちょっと気になることがあったのでね。例えば容疑者の証言にしても……」
「木更津」
事件について語る彼の言葉を遮るのは、私にとっても少し勇気が必要なことだった。けれどこのまま二人で事件についての議論を始めては、なんのためにここに来たのかわからない。搦め手が失敗した今、直球勝負しか残された手はない。
事件へ向ける熱を途切れさせてこちらを見た木更津に、
「たまには私のことも気にしてくれないか」
そう言って微笑んでみせる。
このまま季節を変化させてたまるものか。
木更津は虚を突かれたようにきょとんとして私を見たが、次の瞬間には毒気を抜かれて笑い出した。
「コーヒーでも淹れようか」
「いや、結構」
「ではケーキでも? ちょうど午前中の依頼人が持ってきたものがあってね」
「別の機会に頼むよ」
「そうかい? それじゃあ」
新調したばかりのソファカバーに、木更津が皺を作る。座る私の横に片手をつき近付いた彼の吐息が、前髪を揺らした。
「何をお望みだい」
「最初に言ったろう?」
この際ベッドでなくても構うまい。私は彼のネクタイに手をかけた。皺が寄ることを危惧してか木更津は僅かに眉をひそめたが、気にするなよと唆し、そのまま強く引いた。
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2012.05.06.
「木更津からアクション起こしてくれるのを心待ちにしてる
限りなく香木に近い木香」というリクエストで書かせて頂きました。
時期的には『翼ある闇』や『名探偵木更津悠也』の前のつもりです。
季節に合わせて事務所の衣替えをする木更津の女子力は麻耶作品中一番ですね。