「有楽町すごかったね」
 隣に座るやいなや半蔵門が言うのは、人気投票のことだった。
「本人は胃を痛めてたけどね」日比谷はくすりと笑う。「今日はお祝いだって、さっき副都心に連れて行かれたよ。他のみんなも、それぞれ出かけちゃった」
「日比谷ちゃんは?」
 首を振る。誘いはいくつかあったけれど、断ってここにいる。十二月はただでさえ忙しいのに地下鉄は誕生日が多くて祝いの頻度が高すぎるし、明日メトロの中でお祝いをすることになっている。
「ふうん」気のない相槌を打つ半蔵門は、遅番で今まで仕事だった。待っていたといえるのかどうか、日比谷は自分でもよくわからない。
 立ち上がり、彼にお茶を出してやる。香りのよい、あたたかい湯気が部屋に広がる。一口飲んで、半蔵門は疲れたなぁと伸びをし、日比谷にわらいかける。
「日比谷ちゃんも、おめでと」
「うん。半蔵門も、おめでと」
「一票差だっけ」
「うん」
「日比谷ちゃんも、有楽町みたいにたくさん票が欲しかった?」
 無造作にそんなことを聞いて、後輩はお茶を飲んだ。いや有楽町も胃が痛そうだったから、と苦笑して、でもまあ、と答える。
「嬉しいと思うよ」
「じゃあ来年はがんばるよ」
 予想外の答えに目をしばたく。半蔵門が? 路線は自他ともに投票できないことになっている。
 なに言ってんの、と眉をひそめた日比谷に、半蔵門は答える気があまりない。
「だって日比谷ちゃんは、大勢にすこしずつ好かれても満足できないじゃん」
「知ったようなこと言うなよ」
「いつもそう言うくせに」
 睨んでやるが、たしかにそうだ。おまえは誰にでも好きだのなんだの言うくせに、と半蔵門をなじるのは日比谷だ。
 軽い言葉は要らない。信じられないからだ。信じることのできない自分も嫌いだ。だから本当はこう言いたいのだ。信じさせてくれよ、と。
 睨まれているのに、半蔵門は頬杖をついて嬉しそうに目を細めて日比谷を見つめる。
「だから今回、おれも日比谷ちゃんに投票した」
 え、と日比谷は虚をつかれて半蔵門を見つめ返す。半蔵門はにっこりと笑った。
「銀座に見つかって、はがきは取り上げられちゃったけどね」
 どうする、と彼がにこやかに口にする言葉で、日比谷は身動きがとれない。
「確かめるかどうかは、日比谷ちゃんに任せるよ」





***





「へえ、半蔵門がそんなことを?」
 銀座はにこやかに日比谷を見つめた。いま気付いたことだけれども、銀座のこのいつもの微笑み方と、半蔵門のめずらしく浮かべる微笑み方とはよく似ている。バイパス同士とはいえ似ることなんてないはずなのに、こんなところが似ているのはなぜだろう。自分にはこんな風に微笑むことはできない、と日比谷は思う。
「ほんとうなの?」
 こんなことを言っていたんだけど、と銀座におもねるような聞き方をしたはずなのに、結局こう聞かされているのはこの微笑みのせいに違いなかった。
 銀座はひとさし指を唇に当て、思い出すようにしながら日比谷を見つめる。居心地の悪さを感じながら机を睨んで答えを待つ時間は、半蔵門への怒りや己への羞恥に耐えていたせいでとても長く感じた。
 やがて銀座が口を開いた。
「まさか」弾かれたように顔を上げると、銀座も日比谷をじっと見つめていた。「……って言われたらいやでしょう?」
 かっと頭に血が上った。「銀座も僕をからかうの!」
 違うよ、と地下鉄の重鎮は動じない。紅茶を淹れてあげるね、と立ち上がられては怒った勢いで部屋を出て行くこともできなくなり、日比谷は座ったまませめてもの抵抗で顔を不機嫌に歪ませていた。
 紅茶は良い匂いだった。日比谷が前においしいと言った気がする。一緒に出されたクッキーもそう。一口かじって、もう不機嫌な顔なんてできやしない。
 日比谷が謝る前に、銀座は最初から怒っていない顔で紅茶を含む。
「半蔵門のことが信じられない?」
「……だって、あいつは誰にでも好きというから」
「信じたい?」
 銀座はいつの間にかまたあの微笑みを浮かべていた。「本当に?」
 言葉に詰まる。信じさせて欲しい。抗いようのない言葉で、抱擁で、愛を。信じたいかだって? もちろん。信じたい。信じられたらどんなに良いだろう。日比谷が望むより重い言葉を、大きな愛を、強い抱擁を半蔵門が持っているのだと。
 絶え間ない問いかけに、永遠にイエスと答えて欲しい。
 けれど日比谷にはその問いかけに答えるつもりがないことを、誰にも彼にも見抜かれている。半蔵門はいつしかその問いかけを口にしない。日比谷がはぐらかし続けているから。あるいは苛立ってこう返したことがあるから。――「おまえが本当に僕を好きなら」好きになるから、信じるのがこわい。
「半蔵門に伝言があるから、伝えてくれる?」
 銀座はわらう。優しい笑みで。
「はがき、取り上げちゃってごめんね。次は、直接本人に言いなさい、って」
 その口調は、次も半蔵門が日比谷に票を投じることを疑っていない。
「……紅茶を飲んでからでもいい?」
 イエスと答えが返ることを期待して日比谷が訊くと、銀座はしょうがないなあというようにため息をつき、もちろんとわらった。




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2016.3.14.
拍手ありがとうございます!
2015年の青鉄人気投票に寄せて。
Y先輩の2位すごかったですね!
信じる気のないひびやちゃんに、半蔵門の攻撃でした。