その日、私は酔っていた。
 ミス研の飲み会でべろべろに酔わされた末に終電を逃した私は、いつものようにメルの家に転がり込んだ。大学の周辺には手頃な飲み屋がないので、三駅ほど離れた駅前で飲むのが我が大学の一般的な飲み会コースなのだ。
 メルは玄関を開けると、盛大に顔をしかめて「この酔っ払い」と罵った。
「泊めてくれ」
「凍死しろ」
 メルが扉を閉じようとするのを、右足を挟んで止める。痛いがやめない。
「メル、お願いだ」
「……君という友人を持ったことが私の唯一の汚点だよ」
 メルが憎まれ口を叩いて、結局扉を開けてくれる。私は彼の肩につかまって中に入る。メルが溜息をついて、酔っ払いは嫌いだと言いながら乱暴な手つきで私を居間に運ぶ。
「ここで寝ていろよ」
「うーん……」
 閉じそうになる目をこじ開けて、メルを見る。呆れた顔で私を見下ろしている。
「メル」
 私は呼んで、立ち上がる。
「ポッキーゲームしよう」
「は?」
 メルが不機嫌に言うのに構わず、私は鞄の中からポッキーの箱を取り出す。宴会でポッキーゲームをしようとして、後輩の女子に断られた先輩から泣く泣く押し付けられた品だ。
 酔っていたのだと言い訳をするのは簡単だ。
 私は袋を開けると、一番長いポッキーをとって口にくわえた。
「あい」
 口が開けられないのでどうしても発音が幼稚になる。くわえたポッキーのもう一方の端をメルへと差し出す。
「何を賭けて?」
 メルが軽蔑に近い表情で問うた。
「僕と君の友情を賭けて」
 ポッキーをくわえながら言ったこの言葉がメルに伝わったかわからない。メルは珍しく溜息をつくと、私に一歩近づいた。
「折った方が負けなんだったね?」
「うん」
 メルがもう一歩近づいて、唇をポッキーへと寄せる。
「君が負けたら、もう二度と酔って私の家へ来ることもないんだろうね?」
「君が負けたら、もう二度と僕の本を持っていくなよ」
 メルの唇がすっと開き、ポッキーの先端をくわえる。それが合図だった。私は溶け始めているポッキーをぽきりとかじる。メルの顔が少し近付く。普段だったらとても恥ずかしくてできないのに、私は真顔で、メルの目をじっと見たままポッキーを齧った。メルは素面の筈なのに、恥ずかしげもなく私の目を見返してはポッキーを齧る。もう二人の鼻がくっつきそうになって、私は首を傾けていた。ポッキーがあとどれくらい残っているのか、よくわからない。唐突にぽきりという音がして、私の唇はポッキーではない、柔らかいものに触れていた。
 一瞬。
 一瞬で離れると、メルが私の肩をとんと押した。
「もう寝たまえ」
「待てよ、メル―――
「明日は出掛けるんだ」
 取り付く島もない。ソファに横たわると、ポッキーの糖分も手伝ってか睡魔が襲って来て、瞬きしたと思うと私は眠りに落ちていた。





 翌日。
 起きると、案の定頭が痛い。足取りもなんとなくおぼつかないような気がする。洗面所で顔を洗い、コップ一杯の水を飲むと、少しましになった気がした。
「メル?」
 彼の部屋の扉を叩く。ああと返事があってしばらくすると、パジャマを着たメルが扉を開く。
「なんだい?」
「帰るよ」
「そうしたまえ」
「……」
「……」
「……なあ、メル」
 私はおもむろに口を開いた。
「昨夜、僕なにかしなかったか?」
 酒のせいで記憶が曖昧になっている。メルの部屋に来たところまでは覚えている。そうしてポッキーを取りだしたような気がする。ポッキーゲーム? 唇に柔らかい感触が残っているような気がして、なんだか心許ない。メルならばこの漠然とした不安に名前を付けてくれるんじゃないだろうか。そんな気がした。
 メルは再びああと頷いた。
「君とキスしたよ」
「……他には?」
「ポッキーゲームは君の負けだと思うがね」
 メルが自信ありげに言った。
「だからもう君はこの家に来るなよ」
「え……」
「私の君との友情をかけて勝負しようと言ったのは君だろ」
 そんなことを言ったのか? 頭がくらくらした。メルの唇の触感が繰り返し甦る。――― くらくらする。
「なあ、メル」
「なんだ? 男に二言はないだろう? 美袋くん」
「もう一度キスしようか」
「いいよ」
 メルはおかしなくらいに即答だった。女性にはない高身長にぎこちなく口づけると、かすかにチョコレートの味がした。










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2011.11.11.
やっつけ。
メル→美が美メルに変わるポッキーゲーム。