※注意※
『翼ある闇』の犯人のネタバレがあります。

翼闇回避後です。

メルと美袋くんが同居してます。

メルがアニメオタクです。

直接言ってはいませんが、
メルと美袋くんでアニメ「輪るピングドラム」を観ている設定です。
大分ぼかしてますが最終回のネタバレがあります。

アニメだったり液晶テレビがあったりすることからして時代考察は丸無視です。


それでもよろしければどうぞ。
















 二人掛けのソファの正面、地デジ対応の四十二インチ液晶テレビに、派手な衣装に身を包んだ少女のアップが映し出される。ポップな音楽と共に画面がめくるめく展開するのを、床に並んでソファに背中を預ける美袋とメルは食い入るように見詰めた。
 やがてエンディングが流れ、一話分が終わる。ちらりと視線をやった時計の短針はちょうど11の数字の上にさしかかった。夜の十一時だ。アニメの一話は約三十分だが、全二十四話分を朝からずっと流して、やっと第二十二話に辿り着いたのだ。普段アニメを見ない美袋にとって最初はなかなか辛い時間だったが、見ている内にどんどん世界観に引きこまれ、今ではメルと同じように夢中になって見ていた。
 このアニメはメルが見ようと言って、どこからともなくブルーレイディスクを取り出してきたものだ。そういえば、数日前にそれらしい郵便物を受け取った気がする。
「わざわざブルーレイまで買ったってことは、もうテレビでやったときに見たんじゃないのか」
 及び腰になった美袋に、メルは澄ました顔で「良作だから君も見るべきだ」とのたまった。「特典の映像はまた今度にしてあげるよ」とも。
 第二十二話のエンディングを出力し終えたオーディオプレイヤーは、続いて第二十三話のオープニングをテレビに映し出す。オープニングは途中から変わったが、それでも連続で十数話分も見ていれば飽きてしまう。けれど何度早送りで飛ばそうとしても、その度にメルが「オープニングが良いんだ」と主張するので諦めた。美袋がミステリにうるさいのと同じように、メルはアニメにはうるさい。
 本編と変わらぬ熱心さでオープニングを楽しむメルの隣で、美袋はソファから体を離し、ローテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばす。二人が足を伸ばしてくつろぐため、ローテーブルはいつもよりソファから遠くにやっていた。折角ソファがあるのに二人とも床に座っているのは、長時間同じ姿勢でいることに耐えられなかったからだ。視聴を始めた当初は二人とも行儀よくソファに座っていたのだが、最初に美袋が、続いてメルが床に降りた。
 美袋の隣にいるメルは、彼のトレードマークだったタキシードではなく、ラフなセーター姿でしどけなくソファに凭れている。それは彼が『メルカトル鮎』ではなく『龍樹頼家』として存在していることを示す。蒼鴉城で起きた今鏡の事件以来、彼は龍樹頼家として美袋三条と共に住み、龍樹頼家として美袋三条と人生を歩むことに決めた。
「君がいるなら」
 重い刃が振り下ろされた瞬間に部屋に飛び込んだ美袋は、メルの首から鮮血が飛び散るのを防げなかった。脊椎には届かなかったその刃は、けれど充分に致命傷を彼に負わせた。二十時間に及ぶ手術と三日間の昏睡状態を経て、意識を取り戻したメルは美袋に告げた。
「君がいるなら、まだ生きたい」
 来てくれて、ありがとう。その言葉は美袋の腕の中で嗚咽に埋もれた。



 再びソファに背中を預けた美袋の肩に、ことんとメルの小さな頭が載せられる。艶のある黒髪が美袋のシャツと擦れる。顔を覗き込むと、心なしか瞼が下がって、目がとろんとしている。
「メル、眠い?」
「いや」
 頭の回転が速いメルにしても、否定が速すぎた。アニメが見たい一念で、反射的に答えてしまったに違いない。十時間以上もテレビを凝視し続けていれば目が疲れるのも当然なのに、子供みたいだ。口元に微笑が浮かぶ。
「寄っかかっていいよ。僕は徹夜には慣れてるから」
 そう言って彼が寄りかかりやすいように体勢を微調整し、頭を撫でて促せば、肩にかかる重みが増した。持っていたコーヒーカップを手渡すと素直に受け取り、両手で抱えるようにして口をつけるのが愛おしい。
 テレビの中ではジェットコースターのように物語が展開し、世界を救う少女の遺言が、世界を呪う青年に絶やされようとしていた。どうしてこんなひどいことするんだろう。と思った瞬間には口に出ていた。
「君は優しいね」
 テレビに視線をやったまま、眠たげな声でメルが答えた。
「仕方ないよ。彼は選ばれなかったし、選ぶつもりもないんだ」
 その言葉は美袋の胸に刺さった。かつて人生を選択された二人の双児がいた。彼らは互いの存在も知らぬまま別々の人生を歩み、再びその人生が交わったのは、やはり選ばれる時だった。
 言葉に迷った自分に優しい目を向ける双児の兄を、美袋は選んだ。
「君が傷付く必要はないんだよ。これは二次元の話なんだから」
 メルはそう言って、再びテレビに視線を戻す。美袋が彼ら双児を連想したことを承知の上で、そんな風に笑う彼の方が余程優しく思えた。この連想は、彼にとって決して快いものではない筈だ。自分を気遣う台詞を言わせてしまったことを後悔して、美袋は目で微笑んで小さく頷いた。
 誰も愛せなかった青年は世界を呪い、暗闇に閉じ込められた。誰かを愛せば良かったのに。美袋の目には、誇りを守るために何人もの血族を殺めた今鏡の女傑が見えていた。罪を暴かれたその瞬間にも、毅然と前を見詰めていた女性。凛と立つ姿の高潔さは、その所業を思えばおぞましき異形として美袋には記憶されている。
 それは誇り高き王女の姿ではない。両手を血で汚した一人の殺人鬼だ。
 肩を動かさないよう注意しながら、こっそりとメルの様子を伺う。稀代の犯罪者が手をかけた最後の人物である彼が、呼吸をして、瞬きをして、好きなアニメを子供のように見詰めている。その平和が美袋の胸を詰まらせた。
 その首についた痛々しい傷跡はまだ赤みを残していたが、美袋もメルも包帯で隠そうとはしなかった。それは『龍樹頼家』が血の呪縛から解放されるための通行手形であり、その呪縛から逃れるために『メルカトル鮎』として生きてきた彼が、再び『龍樹頼家』を取り戻した証だからだ。
 第二十三話が終わる。いよいよ最終回だ。
 敵対するべきではない二人の少年が睨み合い、世界を救う覚悟を携えた少女が眠り姫の目を覚ます。耳慣れた音楽が鳥肌を呼び、前半の終わりを告げるアイキャッチが興奮を抑える。ブルーレイディスクには勿論CMは収録されていないので、そのまま後半に移った。テレビ放映時、誰もがハッピーエンドを願ってCMの時間を過ごしただろう。
 祈るような気持ちで。
 どうか愛する人には傷付かないでいて欲しいと願う傲慢で切実な祈りを、美袋もかつて捧げたことがある。蒼鴉城へと駆ける車中で、その祈りを聞いてくれるのならば、神でも悪魔でも構わなかった。どうか、どうか。月が追いかけてくるのにも苛立つほどの不安と焦りを、今でも時折思い出す。その時間は永遠にも感じられた。
 隣にうずくまる温もりが、あのとき何者かに祈りが届いたことを美袋に教える。美袋の日常には宛先不明の感謝が増えていく。



 あどけない少女の大人びた微笑みが画面に映る。目覚めたばかりの眠り姫は自身の体が傷付くのも厭わず、全てを始まりの場所に還していく。少女の持ち込んだ呪文が運命の終着点を変え、登場人物達は口々に言う。
 愛してる。愛してる。愛してる。
 その言葉がもっと世界に満ちればいいのに。今度は口には出さずに思う。彼や彼女や、命を喪った多くの人々のために。愛が全てを解決すると信じられるほど子供ではないけれど、愛にしか救えないものもあると知っている大人として。
「メル、まだ起きてる?」
 そっと呼びかける。こくんと彼が頷いたのが肩に伝わる。
「龍樹頼家って名前、まだ嫌い?」
 長い沈黙。それはまだエンディングの途中だからというだけではないだろう。眠ってしまったわけではないのは、気配でわかる。美袋はテレビに視線を固定して待った。全二十四話を再生し終えた画面には、登場人物達が並んで笑い合う。ありがとうと言った彼らの笑顔は、争い合ったことも選び合ったことも、全てがなかったかのように幸福に満ちている。
 彼らは記憶を夢の欠片に置き換えることでそれを手に入れた。現実に生きる美袋とメルは、過去をなかったことにはしない。龍樹頼家の過去から生まれたメルカトル鮎という亡霊が、二人を繋ぐ輪そのものなのだから。
 かつて黒に身を包んだ銘探偵は、世界を呪ったことがあったかも知れない。選ばれなかったからこそ彼が生まれ、そして美袋に何も告げずに蒼鴉城へ向かった彼は、何も選ばなかったのだろうから。アニメの中で世界を呪った青年を、結局誰も救わなかった。誰か一人でも彼に手を差し伸べていれば、世界に暗闇などなかったかもしれないのに。
 生きるためには愛されなければならない。生かすためには愛さなければならない。美袋はそれを知っている。多分、メルも。だからきっと、こうして尋ねることができる。
「まだ龍樹の名が嫌いなら」
 美袋の声は穏やかに部屋に満ちた。
「美袋の名前を名乗れば良い。もし、君が気に入るならだけど」
 寝室の壁にかけられたタキシードは今も出番を待っている。彼がそれをじっと見詰めていることがあるのに、美袋はとっくに気が付いていた。その表層を再び纏うのに躊躇いがあるのなら、上辺だけでは変わらないものを彼にあげよう。
――― あのとき」
 手持ち無沙汰にコーヒーカップを弄びながら、ぽつんと呟くようにメルが言った。美袋は少し身構える。
 二人の間で『あのとき』と言えばただ一つの夜を指す。美袋が祈り、メルが命を失いかけた夜。唯一無二の運命の分岐点。
「あのとき、君の声が聞こえた。もう君の姿を見ることはできなかったけど、私を呼ぶ君の声は聞こえたよ」
 古城の如き洋館に満ちる静謐を破りながら、美袋は彼の名前を叫んで回った。どうやって屋敷に入ったのか、屋敷の中をどう走ったか覚えていない。扉を幾つ開けただろう。開いても開いても、夜の暗闇が美袋を迎えた。彼を失う恐怖で足が震えそうだった。彼を呼ぶ声は、美袋の断末魔の叫びでもあったのだ。
「君が呼ぶ名前だけあればいい」
 そう告げるメルの声には、少しの皮肉も揶揄も混じらない。ただひたむきな響きが、静けさに溶け込んでいく。
「龍樹の家もメルカトルの殻も、私にはもう必要ない。ただ君が私を呼ぶならそれで良い」
「メル」
 呼んでやると、メルはくすぐったそうに息を漏らす。
「銘探偵は続けるよ。これまで通りタキシードを着るし、メルカトル鮎も名乗る。けれど中身は、君の呼ぶ私だ」
 黒い液体が僅かに残る、コーヒーカップの底から目を上げて、美袋を見詰めるメルの顔は微笑んでいた。
「でも、美袋頼家もいいかも知れないね」
「君が気に入る方でいいよ」
 その手からコーヒーカップを受け取って、テーブルの上に置いてやる。このコーヒーカップも、テーブルも、テレビも、ソファも、二人で過ごすために調えられた部屋は全てが繭となって彼を守るように暖かくあった。
 本当はこんな大きな繭など要らないのだ、とようやく気付く。名前だけあれば良いと彼は言った。美袋が彼を呼ぶ声だけが彼を守ると。
「メル。――― メル、メル」
 ならば美袋は何度でも彼の名を呼ぼう。一度は生を手放しかけた彼に、生きていて欲しいと願ったのは美袋なのだから。
 黒髪に手を差し入れれば、絹糸のように指の間を零れる。掌で頬を包み込むと、その頭蓋の小ささに頬が緩んだ。
「メル、生きててくれてありがとう」
 覗き込んだ瞳の目頭から目尻へと、透明な輝線が描かれる。美袋はその端を掬う。
「……美袋くん」
「アニメに感動したんだろ? わかってるよ」
 メルは首を横に振った。やはり眠いのだろう、その動作は緩慢で幼く、駄々を捏ねているようにも見えた。美しい円形をした彼の黒い目が真摯な光を帯び、美袋の微笑を深める。彼がおそらく言いたい言葉を、美袋も彼に贈りたかった。
 生まれた世界から逃げ出した『龍樹頼家』でも、常に世界を欺いてきた『メルカトル鮎』でもなく、今、美袋に見えている彼を世界に生かすために必要な言葉を。
 約十二時間に及ぶアニメの中で、彼らは何度泣き、何度絶望しただろう。偽りの救済に縋り、愛する人を失い、それでも彼らはなりふり構わず運命を変えようと抗った。だから最後に聞こえた声は明るい。きっと幸せになったのだろう。そうだろう。全ての人はそうあるべきだ。
 美袋三条も。
 龍樹頼家も。
 メルカトル鮎も。
 誰もがこの言葉を待っていて、誰もがこの言葉を与えられるのだ。
「愛してる」





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2012.05.23.
コンセプトは「いけめん美袋くん」でした。
いけめんを書こうという気持ちと、
ピンドラ再放送見たかったという気持ちが混ざったらこうなりました。
混ぜるな危険。
この美袋くんの何がかっこいいってピンドラの内容を一回で把握してることです。