一九XX年冬のメルカトル鮎と言えばまるで不機嫌の代名詞のような有り様だった。その証拠に、それからしばらく仲間内では不機嫌さのバロメーターとして「一九XX年冬のメルカトルじゃあるまいし」「いくらなんでも一九XX年冬のメルカトルよりはマシ」などのように用いられたものだった。
 と言って実際に一九XX年の冬に何があったのかと言うと、特に何もなかったのである。これは私だけの意見ではない。一九XX年冬の思い出と言えば、仲間内で顔を突き合わせる度にメルカトル鮎の不機嫌の原因を忖度していたことに終始する。大事な名前を間違えられたのだとかシルクハットに鳥の糞が落とされたとか、そんなありきたりの予想は始まって一週間ほどで愛想を尽かされ、次第に大喜利のネタになった。そもそもメルカトル鮎という男自体が話のネタになりやすい男であったので、当然の展開だったと言える。
 中でも「女に振られたのだろう」という予想は秀逸だった。天上天下唯我独尊、傲岸不遜に傍若無人で鳴らすメルカトル鮎はまるで女になんて興味が無い。と見えるけれど奴も男だ。誰もがそんなまさかと思いつつ、完全には否定しきれない。メルカトル鮎は恋愛しない、という常識の死角を突いており、発想の転換とも言える。ちなみに、メルカトル鮎を振る女がいるのだろうかという点でも全員の意見が一致した。「あれの相手が務まる女などいるわけがない」。
「で、実際のところどうなの?」
「なにが」
 そろそろ十年弱が経つ一九YY年の冬のある日。今日は呼ばれたんだったか押しかけたんだったか、どちらのケースも同じくらいの頻度であって、どちらも結局同じ結末になるのだから気にしてないが、メルの家で二人揃って鍋をつつきながらふと思い出して聞いてみた。一九XX年のメルカトル鮎の不機嫌について。当時も何度か本人に聞いたことだが、聞く度にますます機嫌が悪くなるものだから諦めた。というかこれ以上機嫌が悪くなりようもないのにどんどん悪くなるものだから、本当はどこまで悪くなるのか確かめたくもあったのだが、身の危険を感じてやめたし止められた。基本的に私がメルカトル鮎にいたぶられることについて周りは薄情にも不干渉であったので、止められるのはよっぽどのことだった。なにしろ仕込み杖になっていると噂のステッキで私が叩かれるのを、笑ってみていた友人達である。友人とはあまり呼びたくない。
 聞かれたメルカトルは白菜の火の通り具合を確認しながら不機嫌になったが、一九XX年を思えば大したことはない。私は思い出を説明し、もう一度聞いた。
「なんであの年の冬、あんなに機嫌が悪かったんだ?」
「覚えてない」
「嘘吐け」
 メルカトル鮎の記憶力は折り紙付きだ。例えば今日二人で買い物に行ったスーパーの店員の名前をすれ違った順に言ってみろと挑発すれば、各人の髪型や顔の造形までも詳しく描写してくれるだろう。十年来の友人である私にそんな言い逃れが通じる筈もなく、もちろんメルカトル鮎にしたって承知の上で言っている。覚えていて言いたくないだけなのだ。なにを生娘のように強情な。
 二時間ドラマの結末についての予想を交えながら一鍋つつき終えるまでの問答の末、メルカトル鮎はこんな風にヒントを出した。
「まさか君達は一九XX年の冬についてだけあれこれあげつらっては人のプライベートを侵害していたのかい? 因果応報、全ての事象には原因が先立つものだ」
 一九XX年の冬でないなら秋か、夏か、春か。一九XX年よりも前の年なら、もう私の記憶力の方が追いつかない。そんなヒントを出されるのなら、もっと早く聞くべきだった。私は自分の少ない記憶力を振り絞り、一九XX年のことを思い出す。
「僕が○○学の講義を落とした」
「知ったことか」
「あっ仕送り全部使い果たしてメルに泣きついたことあったよな」
「怒ったし説教もしたが、私が一冬も機嫌を悪くすることじゃないだろう」
「だよな。他に何かあったっけ……確か秋、僕に初めて彼女ができたんだけど、それも君には関係がないもんな」

 一九YY年冬のメルカトル鮎と言えば、まるで不機嫌さの代名詞であった一九XX年冬の次くらいには不機嫌であったけれど、最早それを共有して大喜利できる共通の友人は遠く離れて、私は一人でそれをやり過ごすのに大変だった。





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2014.10.18.
ミスフェスのワンライ企画「メルカトル鮎」(確か)で書きました。
メルカトルらしいということもなくいつもの美メルになってしまった。
タイトルは久世l光彦先生の『一九三四年冬―乱歩』より。