「にょた美袋とメル」というリクエストで書かせていただきました。
もう一度言います。
「に ょ た 美 袋 とメル」です。
美袋三条くんは現役女子高生推理小説家(こうして書くとすごいスペックですね)、
メルカトルさんはいつも通りの魔性の悪徳銘探偵。
季節ネタでバレンタインの話です。こんな感じのイロモノです。
よろしければどうぞ。




 誰もが浮き足立つ二月十四日を、目前に控えた十三日。友人の浦沢大黒が、女性誌のバレンタイン特集をぱらぱらとめくる。
「三条は? チョコ作らないの?」
「あげる相手いないもん」
「担当さんは?」
「甘いもの嫌いって言ってた気がする」
 デビューしたてだけれど、一応、私はミステリ作家だ。
「じゃあ、いつものあの人にあげれば? えーっとなんだっけ、地図みたいな名前の……」
「メルカトル?」
 私はげんなりとして答えた。
「あいつにチョコなんかもったいないよ。あいつにあげるくらいなら自分で食べる」
「色気ないなあ」
「なくていいもん」
 私は平然として答えた。あんたねえ、と大黒のお説教が始まりそうになったそのとき、午後の授業のために教師が入ってくる。ナイスタイミング。大黒は恨めしそうに教師を睨み、自分の席へと戻って行った。
 退屈なだけの数学の授業に耐えること十分。突然、けたたましいケータイの着信音が教室に響いた。昼下がりの陽気に閉じかけていた瞼が、一瞬で本来の位置に戻る。
 い、一体どこから。きょろきょろしていると、教師が険しい顔でこちらを睨んでいた。私か!
「おい、美袋!」
「はっはいごめんなさい!」
 慌ててケータイを開き、電源ボタンを押して電話を切る。一瞬メルカトルという文字が見えた気がするけど、気のせいということにする。すると教師が黒板に向き直るのを待たず、手の中で再びケータイが鳴り出す。今度こそはっきりと見えるメルカトル鮎の六文字。なんなのよもうふざけた名前して。私はケータイだけ持って教室を飛び出した。教師が呼び止める声を背中に聞く。
 人気のない階段の踊り場に着いて通話ボタンを押すや否や、スピーカーから飛び出す、不機嫌全開の男の声。
「私からの電話を切るとは、どういう了見だい。三条くん」
「授業中だったの! 大体昼間に電話かけて来るなって言ったじゃん!」
「そこから校門が見えるかね?」
 相変わらず私の話なんか聞こうともしない。メルこと、自称漂泊の銘探偵メルカトル鮎。本名は知らない。ひょんなことからつきまとわれるようになって困ってるけど、無駄に顔はいいし何より探偵だからネタになるしで邪険に扱えないのがさらに困る。
「校門?」
 踊り場を出て、渡り廊下に向かう。そこから見えた校門の外にはMR2。まさか。私は転びそうになりながらも階段を駆け下り、校門に向かった。
「ぎゃあああほんとにいる―――!!!」
 見慣れたその車は、やはりメルのものだった。メルは車から降りもせず、電話越しに早く乗りたまえ、とのたまう。君のお待ちかねの事件だよ、と。
 そんな言い方をされるとまるで私が人の不幸を待ち望んでいたように聞こえて心外だ。抗議するべく、私は後部座席のドアを開けた。
「そっちじゃないだろう」
 運転席から、メルが鋭く声を飛ばす。別にどっちだっていいじゃん……。私はぼやきながら、助手席に座り直した。シートベルトをするのを待たずに、車が発進する。
「あっ、コートと鞄忘れてた! 靴も上履きのままなんだけど」
「別に構わないだろう」
 メルは実にめんどくさそうに答える。そりゃ、いつ見てもシルクハットにタキシードのこの男にしてみたら、私の服装なんかなんだろうと構わないだろうけど。とは言え私も大して身なりに気を使わない性質なので、早々に諦めることにした。
 車は市街地を抜け、山奥に入っていく。やがて見えてきた一軒の豪奢な屋敷のガレージに、メルは車を停めた。
 車を降りると冷たい風が吹き付ける。改めてコートを持ってこなかったことを後悔。ぶるりと身震いしていると、突然頭が重くなり、視界が真っ暗になる。
「わっ!?」
 目の前を覆う物体を慌てて手に取ってよく見ると、黒いマントだ。冬になってからそれを愛用してるのは、メル。え? あのメルのマントがなんで?
「それでも着ていたまえ」
「え、あ、ありがと……」
「現場で鼻を啜られても迷惑だからな」
 あくまで素っ気ないメル。優しいところもあるんだ。血も涙もない冷血漢だと思ってたけど、少しだけ、ほんとに少しだけだけど見直した。厚手のマントは風を完璧に遮断して暖かい。けれど家人に事件現場に案内される間、上履きを履いている足元にちらちらと視線を送られたときにはメルを睨んだ。
 メルは軽く現場を検分すると、五分後には解決編をやり出した。五分て。早すぎる、そんな展開は私も読者も望んでいないのに。私の内心のブーイングに構わず犯人を指摘するメルと、激昂する犯人。そりゃ完全犯罪やり遂げたと思ったらこんな変人にあっさり暴かれるんだもんねーわかるわかる……と後ろでこっそり頷いていると、メルが振り向いて睨んだ。こいつは頭の後ろに目でもついてるの?
 ともあれ無事事件が解決したので、メルは解決料などの後処理に入る。しがらみとやらで大して面白くもない事件を引き受けさせられたと車の中でぐちぐち文句を言っていたので、今日もぼったくるつもりだろう。私はやることもないので、今後の参考のために部屋の中を見て回ることにする。さすが金持ちの家は調度品一つ一つに格の違いを見せつけられるようだ。
 見慣れないものばかりの部屋の中で、戸棚の中に重ねられた白磁の皿の上に、よく見慣れたものを発見した。
「んんー……?」
 まあ事件も解決したし、いっか?
 それをカーディガンのポケットにしまうと、見計らったようなタイミングで三条くんと呼ばれる。振り返ると、メルが帰るぞと車の鍵をちらつかせる。すたすたと部屋を出ていくのを、慌てて追いかける。
 外に出るともう日が傾いていて、二人きりの車内もだんだんと暗くなる。隣で運転するメルの表情が見えなくなる頃、私はポケットからさっきのものを取り出した。
「はい、チョコ。一日早いけど、バレンタインの」
 某有名お菓子メーカーの板チョコ。贅を尽くした調度品の中では浮いてしまっていた、庶民の愛するお菓子。咄嗟に大黒との会話を思い出し、まあこれくらいならあげてもいいか、と持ってきたのだ。
 メルは暗闇の中でもわかるくらい顔をしかめて、
「現場から物を持ち出すな」
と言った。
「もういいじゃん、解決したんだし」
「先に君が毒味したまえ」
「撲殺だったんでしょ? 毒はないってー」
「――本当にそう言い切れるのか?」
 メルがやけに真剣な声音で囁く。……もし、本当に毒が入っていたら? ぞくりとした。が、
「って、それなら尚更私が毒味する意味なくない!?」
「大丈夫だ、君は悪運が強いから」
 ことあるごとに言われている気がするけど、全く根拠がないので信じられない。
 右手だけでハンドルを操り、メルが器用に銀紙を破いた。
「さあ、食べたまえ。なに、毒が入っていたらすぐに吐き出せばいい」
 そう言ってずいとチョコレートを突きつける。
 えー。
 大丈夫かなあ。
 暗くてメルの表情が読めない。甘い香りが空腹を思い出させた。
 ……食べちゃうか。そうそう毒なんて入ってるわけないし。
 私はおそるおそる、差し出されたチョコレートの端を齧った。
 甘い。咀嚼する間もなくそれは溶けた。味蕾にひっかかり、舌の上に少し残る。
「どうだい?」
 心配するでもなく、淡々と聞くメル。特に変わった味もしない。いつもと同じ、ただのミルクチョコレートだ。そう伝えると、メルはつまらなさそうにふうんと答える。つまらなさそうにするな。
 お腹空いてるし、もうちょっと貰っちゃおう。メルから板チョコを奪い、大きめに齧った。口内で溶けたチョコが粘膜に絡みつく。
「いつからそれは君のものになったんだい」
とメル。
「あ、欲しいの? はい」
 私は四分の三程残った板チョコを差し出した。メルは車を停め、チョコへと手を伸ばす。その手が、それを持つ私の手首を掴んだ。
「メル? っ……!」
 ぐいと顔が近付き、唇が触れ、表面を舐められる。ざらついて、生暖かい舌の感触。
 一瞬、頭が真っ白になった。
 その隙を突いてかどうか、左の頬もぺろりと舐められる。
「〜〜〜〜っ!!!」
 我に返って勢い良く顔を遠ざけると、メルはいつもの能面のような顔をして、
「安いチョコだな」
と言った。
「え? なっ、……えっ!?」
 混乱する私に、メルは馬鹿にしたように、その細長い指で自分の左頬を指さした。そこにチョコレートがついていたと言いたいらしい。だからって!
 私は座席の上でできるだけメルから距離をとりながら、唾液の残る唇をごしごしと拭った。
「もおおおおうほんと! 最低この変態! ロリコン! なんなのいきなり! 私のファーストキス返せ!」
「キスなんかしてないだろ」
 気怠げにタキシードの皺を直して、ふと気付いたように
「ファーストキスだったのかい」
とくつくつと楽しげに笑うメル。何がそんなに楽しいんだこの変態タキシード野郎。
「そんなにチョコ食べたいならこっち食べてよ!」
 板チョコを投げつけてやる。メルはそれをひょいと手で受け止めると、
「美味くない」
と私に投げ返した。
「大体、私のキスはこんな安物よりよっぽど高いぞ」
「言ってろこの変態!!!」
 メルカトルはうるさいよとばかりに、私に向けている左耳に指を突っ込む。
「もう無理! あんたみたいな変態とこれ以上一緒にいらんない!! 帰る! 下ろして!」
「下ろしてもいいが、君はここがどこだかわかってるのか?」
 やる気のない街灯が思い出したように点在する山道が、どこに続いているのかわからない。ここで下ろされたら死ぬしかない。
「……じゃあ早く帰して」
 私は絶望して、シートに体を埋めた。





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2012.02.14.
twitterで募集したリクエストで、
「にょた美袋とメル」でした。
メルカトルさんは一体どこまでしたら訴えられるのかと戦々恐々でしたが
書くのはとても楽しかったです。
女子高生三条くんを書くにあたり、ティーンズ文庫を参考にしました。