※『アリアドネ』ネタバレ含みます。
『ケルベロス』直前の設定です。
――― あ、また。
廊下の先の角を曲がる彦根とシオンの姿を認め、俺は心の中で呟いた。Aiセンターの副センター長に就任した彼ら二人を、最近よく病院内で見かける。今のように二人並んでいることも、どちらか一人のこともある。彦根の手はしばしばシオンの肩にかけられて、彼らの親密さを見せつける。
病院内の地図を思い出して彼らの行き先を島津の根城と見当を付けると、俺は踵を返し、自分の城に帰ることにした。
白衣を着ない彼らが医者だと、一体誰が気付くだろう。
ヤマビコユニット。画像診断を武器とする彼らのことを、そう呼ぶのだと教えてくれたのは島津だ。人によっては『恐怖の』とつくらしいがな、とにやりと笑みのおまけつき。卒業以来すっかり性悪になったらしい彦根はとにかく、桧山シオン、彼女が何をしたと言うのだろう。
「彦根はスカラムーシュって呼ばれてるんだと。意味は大ほら吹き」
「随分大仰なあだ名だな。まあ、あいつのしたことを考えれば当然か」
「桧山先生は、ガラスのヒロイン、だと」
さもありなん。俺は大いに納得した。
「じゃ、ヒーローは彦根か?」
茶化した俺に、島津はううんと唸って首をひねる。
「そういうわけでもないらしいんだよなあ」
「へえ」
聞けば、先日彦根が一人で島津を訪ねた際に、おまえああいうのがタイプだったのかとからかったところ、僕とシオンはそういうんじゃありませんよ、あいつは心のないマリオネットですからねと返されたそうだ。
彦根の言葉は俺の理解の範疇を超えることがしばしばあるが、今回はどことなくわかる気がした。自在に画像を操る彼女のことを、アンドロイドのようだと自分も思った。
「彦根の言うことだからわかんないけどな」
島津が笑うのにつられて笑う。そうだ、学生時代もそうだった。速水がモテるのは周知の事実。しかしその陰に隠れ、彦根だって相当にモテていたのだ。しかもいつ誰と付き合っているのかなんて俺達に決して把握させなかったから、あいつの好みのタイプなんてわかりやしない。そのくせいつの間にかこっちの好みをしっかり把握しているのだから、本当に食えない奴だ。
『小柄で可愛いタイプ』
かつてシオンを紹介した彦根の言葉だ。思い出してみたら、なんだか無性に腹が立ってきた。
「でも、彦根がシオンの肩を抱いているのをよく見るぞ」
「ああ、あれな。俺が見たときには振り払われてた」
島津が笑いを噛み殺す。おい彦根、どういうことだ。
俺の城、不定愁訴外来の扉が叩かれたのは、午後三時を少し過ぎた頃のことだった。
「お久しぶりです、田口先輩」
にこりと笑う彦根に椅子を勧め、コーヒーを出す。その手つきをぼんやりと眺めながら、彦根は口を閉じない。
「って言ってもそんなに久しぶりでもないですね、この前東城大に来た時にもお会いしましたから。一週間前でしたっけ。でも先輩にコーヒーを淹れていただくのは初めてで、嬉しいです」
学生の頃と全く変わらない笑顔に苦笑いを返して、コーヒーカップを手渡した。コーヒー豆は自腹なんだからな、と念を押したいところを我慢する。彦根からは一言もコーヒーをねだってなどいないのに、それでも「給仕させられている」感覚を与えるところはある意味さすがだ。
「今日は桧山先生と一緒じゃなかったのか」
「シオンなら先に帰らせました。田口先輩とお話できる、せっかくの機会ですから」
「よく言うよ」
スカラムーシュ相手に肩肘張っても仕方がない。俺は単刀直入に聞くことにした。
「おまえ、よく桧山先生の肩に手をやってるだろう。病院内で話題になってるぞ」
後半はブラフ。好き好んで後輩の女性関係なんて聞いてやるかという先輩の意地だ。これくらい許されるだろう。
「へえ、そうなんですか。シオンは人目を惹きますからね」
「恋人でもないらしいじゃないか。なんでそんなことするんだよ」
訊かれた彦根はきょとんとした様子で、俺の顔を、次いで自分の手を見詰めた。それから小さく首を傾げて、
「さあ、ちょうどいい位置にあるんですかね」
邪気のない微笑み。
ああ、こいつ。
頭の中にシオンを呼び出して、悪いことは言わないから、この男はやめておきなさいと忠告する。同性から見てもわかる。この微笑みは、凶悪だ。
すると彦根が微笑んだまま、
「先輩に趣味をとやかく言われたくはないでしょうね」
と言うのでぎょっとする。その表情に、ばれてないと思っていたんですか、とぎょっとし返された。そんなにわかりやすかったですか。
うなだれた俺に容赦なく追い討ちをかけるように、彦根は学生時代所構わずいちゃつく俺と速水のために自分と島津がいかに迷惑を被ったかをとうとうと語った。
「……そもそも僕が初めてすずめに行ったときだって」
「ひ、彦根」
右手を挙げて制止した。
「そのへんで勘弁してくれ」
「はい、まあ、いいでしょう」
「申し訳ありませんでした」
「わかっていただければいいんです」
冗談めかして笑う彦根にほっとする。
「今も速水先輩とは続いているみたいですね」
「ああ、まあ」
気付けば話題は速水のいる極北に移り、桧山シオンの話を蒸し返せる雰囲気ではなくなっていた。それに気がついたのは、彦根が帰った後だったけれど。
彦根の飲んだコーヒーカップを洗いながら、今の会話を、そして学生の頃を思い出してふっと笑みが零れた。
変わったんだか、変わっていないんだか。
まったく、可愛くない後輩だ。
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2012.08.02.
ヤマビコとほんのりしょうどんでした。
彦根が好きです。
すずめの後輩として彦根もスカラムーシュとしての彦根もヤマビコの彦根も好きです。