※『煙か土か食い物』の重大なネタバレを含みます。
奈津川という名前は呪縛だ。奈津川一郎。奈津川二郎。一つ飛ばして奈津川四郎。飛ばした三郎が俺の名前だ。優秀な兄、熾烈な兄、それから弟。弟は優秀で、熾烈で、臆病で優しい。と思っていたけれどどうだろう?途切れることない暴力の連鎖から逃げ出してアメリカで医者になった四郎。しかしそれこそが正しい反応だったとは言えないだろうか?少なくとも台所の床下で丸くなって白い紙の両面にちびちびと小説ともエッセイともつかない散文を書いている俺に比べればはるかに正しく、そして正しいタイミングで正しい行動をとれる人間を臆病とは呼べないだろう。優秀で熾烈で正しく優しい俺の弟。本当に俺の弟なのか?
「おい馬鹿三郎、いつまで引き込もっとんじゃボケ」床下の暗闇もそれを照らす懐中電灯の明かりも打ち消すような白々とした光が上から射し込んだかと思うと、床に開いた四角い天井から四郎の顔が覗いている。「おめえが鬱々してたって何も変わらんし何も良くならんのじゃ。ルンババだって戻って来ねえぞ」
正しさはいつだって誰かを傷付ける。十年以上前にこいつが奈津川の家を飛び出したときだって丸雄もおふくろも一郎も俺もしっかり傷付いたのだ。二郎がいたら何と言っただろうか?「早よどこにでも行ってまえ四郎」そんな風に突き放して見せただろうか。けれど一人だけ最後まで二郎の味方だった四郎を、きっと二郎は気に入っていたはずだ。だから俺達と一緒に傷付いてもくれただろう。愛されたがりの奈津川二郎。
今も四郎があんまり正しいことを言うので、悲しくなりながら俺は立ち上がる。上半身だけが床よりも上に出て、しゃがんだ四郎との距離が近くなってちょっと変な感じだ。「何の用じゃ」
「おめえ二郎を探したいならなんで自分で探さねえんじゃ」
「二郎が俺に見つかるわけねえやろ」
「んなもんやってみんとわからんじゃろうが」
頭が良くて人の魂を刈り取ることが大の得意な移動式地獄の奈津川二郎。俺がつけたその渾名を意外にも喜んでにやにや笑ってくれた兄。「あの二郎が本気出して隠れてるのに俺なんかが見つけられるわけねえやろうが」
「はあ?あほか。わけわからん。あの二郎が隠れてるのは、んなもん見つけて欲しいからに決まってるやろうが」
四郎はその優秀な頭で奈津川二郎=河路夏郎説を語り、今しがた床下の暗闇に投げかけられた光と同様の熾烈さを湛えた笑みを深くし、優しく手を伸ばして俺を床下から引っ張り上げる。
「探しに行こうで、三郎お兄ちゃん」
四郎の顔を見つめながら俺は頷く。だって俺は奈津川三郎。奈津川一郎と奈津川二郎の弟で奈津川四郎の兄なのだ。いつでも正しい奈津川四郎がそう言うならば違いない。
四郎は俺が頷いたのを見ると嬉しそうに笑った。だって二郎を探しに行くのは、いつだって俺達の役目だったものね!
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2014.01.18.
麻耶クラ土下座オフで書きました。
奈津川だったら四三と二一です。四郎かっこいいなあ。