美しいというべきだろう笑顔をした彼女は矢張り美しいというべきだろう純白の花嫁衣裳を着ていた。鏡の前に座って髪を整えている。ロイドはその六十度程後ろの椅子に座り、何をするともなくその様子を見ていた。
 背中が大きく開いているのは自分の趣味ではない。そもそも異性、というよりも他人、どころか自分の着るものにすら好みだなんて持ち合わせていないが、普段見慣れているのが軍服であるだけに不思議な感じを受ける。女性の裸の背中なんて見るのは初めてだろうか? いつも自分の半歩ほど後ろを歩く部下の背中に、思いを馳せたこともない。――― このウェディングドレスは、彼女が一人で選んだものである。
 金色の肩までの髪、それもそう、美しいといわれるべきものである。窓から差し込む朝の光に照り映え、きっと彼女の明るい性格と重なって、太陽の下で最も輝くのだろう。その輝きに興味はないが、あえて奪おうとも思わない。日の光は厳禁であるあの不健康な研究室に、彼女がいたいと思うわけもない。
 ここは教会の控え室である。いつも周囲に満ちる、コンピュータの作動音や金属や人工塗料の匂いはない。それがかえってロイドには落ち着かない。まるで軍法会議にかけられるのを待っているようだとさえ感じ、自分で思いついたその比喩に少し笑みを零した。
 誰が裁くのか。
 ここには神しかいないが自分は神など信じない。
「ロイドさん、お話があるの」
「はいはーい、なぁーにぃ?」
 ミレイ=アッシュフォードさん、僕は君に少しだけ同情している。





 春だというのに礼拝堂の中はひんやりと涼しい。式が始まる前にはこの結婚を勝手に進めた親兄弟や親戚が押しかけ、おそらくロイドが逃げないようにと言った類の配慮でずっと見張られていたので、その他の誰にも会っていない。アッシュフォード家の方はどうだかよく知らないが、ロイドの方は親戚と軍の関係者を少しばかり呼んだだけである。自分の部下は来ているだろうか。
 昨日は口をきいてくれなかった。
 あの翡翠色の瞳も、しばらくまともに見ていない気がする。
 ランスロットに関するデータを読み上げる声はしっかりと聞こえるのに、自分の名前は呼ばれない。
 この気持ちを、彼女はなんと呼ぶだろうか。
 扉が開かれ、その先の大きな十字架が目に入る。赤いバージンロードを静々と進む自分の姿を想像すると、どこか滑稽だった。今日は白衣の代わりに、軍服を正装として纏っている。
 聖堂は予想よりも高い人口密度を有し、ステンドグラスを通した眩い光と、列席者のさざめきが満ちていた。その他愛ない混沌は、ロイドが進むに連れて沈黙に取って代わられる。
 左にずらりと並んだ軍服を横目に見やる。どうせ顔など覚えていないと目線を下げていたら、女性の軍服が視界に入って、思わず目を細めた。けれどまだ、式を台無しにするわけにはいかないのだ。振り返ることも止まることも許されないと、教えられた通りに、親族の横を通り過ぎ、ロイドは祭壇前に立たされた。
 神父の視線を透過させ、ロイドは十字架を見上げて、しんと目を閉じた。
 二つの柱を直角に組み合わせただけのこのモニュメントを、なぜ信仰の対象とするのだろう。思えばロイドにはわからないことばかりだった。その中で理解したいと望む事柄はごく僅かで、それ以外のことに時間を割くのは心底嫌だった。そんな自分を人が何と呼ぶのかにも興味がなかった。ロイドはただ研究がしたいと、ただそれだけを望んでいた。
 そういう意味で、特派は最高の環境だった。
 求めよ、さらば与えられん。
 自分以外の誰かに与えられ、その誰かを神と呼ぶのなら、ロイドにも神はいるのかもしれない。
 いつしか沈黙がさざめきに、さざめきがざわめきに変わっていた。長い時間が経ったらしい。振り返っても良いとは聞かなかったから、ロイドは目を閉じたまま待っていた。来る筈のない花嫁を。
 背後では喧騒が始まっていた。走る足音、問い糾す声、苛立ちを示す靴音。やがて「花嫁が消えた」と声が聞こえ、ロイドは自分に笑うことを許した。もう式がどうなっても構わない、彼女はきっと遠くへ逃げた。ドレスは着て行ったのだろうか。日の下で輝く金髪と白く光る背中を脳裏に描き、おめでとうと呟いた。自力で未来を手に入れた、彼女は自分に同情されるべき人間ではなかったということだ。
 振り返ると、新婦側の列席者は既にほとんどがいなくなっていた。今頃全力で彼女の捜索にあたっているのだろうが、おそらくは無駄に終わるだろう。見つかった頃には誰もが、彼女に結婚をさせることなど諦めている筈だ。
 新郎側の席に目を移すと、こちらもやはり空席ばかりになっていた。相手方に義理のある親族は共に新婦の捜索に行き、軍の関係者は元よりロイドの結婚などに興味はないから、これ幸いと仕事に戻ったに違いない。ただ前から三列目、そこに座る女性にだけは、今日の仕事がなかったというだけだ。
 ワーカホリックのロイドを結婚式に出席させるために、彼女が死に物狂いで仕事をし、今日この日の仕事がないように調整していたのを、ロイドはちゃんと知っているのだ。
 教会の中にはもう一人、未だにどうすればいいのかわからない様子で佇む神父が残っていた。その横に用意されていた結婚指輪の入った箱を取って、ロイドはゆっくりと彼女に近付く。
 セシル=クルーミー。
 後輩として、部下として、常にロイドを支えた彼女がいなければ、ロイドは研究を続けることなど不可能だっただろう。ロイドが理解できない、理解する気もない、けれど人として生きるためには必要不可欠な事柄を一手に引き受けた、彼女こそがロイドの女神なのかもしれない。万能の父としての神を信仰するつもりはないけれど、それがなければ生きられないというのなら。
「受け取ってくれる?」
 差し出した指環を彼女は見詰め、それから硬い表情でロイドを見上げた。ロイドはへらりといつもの笑顔を浮かべて応えた。
「……どうしてこんなことを」
「んー、僕じゃなくて、向こうのお嬢様から言い出したことなんだよねぇ。逃げるから時間を稼いで欲しいって」
 今あなたと結婚すると、私は一生後悔すると。一切の歪みを否定するような強い瞳に、彼女と同じ年頃の、ある少年を思い出した。ロイドが断る理由などある筈もなく、ただ一度きり頷けば、彼女と交わす言葉は、もう何も残っていなかった。
「あら、逃げられちゃったんですね」
 セシルはやっと微笑を浮かべた。左手が差し伸べられ、手に取るとほっそりとした見た目に関わらず、柔らかいのが意外だった。
「どうしました?」
「君の手に触ったのは、初めてかも」
「……かも、じゃなくて」呆れたような声。「初めてです」
 ロイドが覚えていないことでも、彼女はこうして覚えている。だからいつも安心していられる。そういうことを伝えようと思ったが、今更そんなことを言うのはやはり滑稽な気がして、ロイドはへらへらと笑うだけにした。
「手を繋ぐより、キスをするより早く結婚するなんて、思っていませんでした」
「そういうことって、してないと駄目なの?」
「駄目ってことは、ないと思いますけど」
 真面目な顔で首を傾げた彼女の、ずっと手に包んでいた左手の指先に自分の手を絡めた。指と指の間に自分以外の体温があるというのは不思議な感覚で、違和感すら覚えた。目を瞠って見上げたセシルも、釈然としないロイドの表情を見て、おかしそうにくすくすと笑った。今度はその口に、自分の口を近付ける。表面にそっと触れると、瑞々しい感触がやはり意外だった。
「ルージュです」
 セシルは楽しそうに笑い、ロイドの顔に手を伸ばすと、人差し指の先で唇を拭った。
「ついちゃいましたね」
 離された指先が、淡く赤色に染まっていた。彼女の唇がそうして彩られていたことも初めて知る。きっとこれから、初めて知ることばかりが増えていくのだろう。それらは今までロイドが不要と判じてきたものだったけれど、彼女のことなら、少しは覚えていけそうな気がした。
 絡めた左手をほどき、台座に埋められた指環を抜き取った。
「薬指です」
 彼女が囁く。ミレイとの式はここまで進む予定がなかったから、その方法を聞いていなかったロイドの持つ指環は、セシルの人差し指に向かっていたのだった。
 彼女のために誂えたものではないのに、それはセシルの薬指に、するりと馴染んだ。何角形にも研磨され、自ら光沢を放つその鉱石の名はダイヤモンド。それくらいは、ロイドにもわかった。炭素の同位体の一つで、最も硬い絶縁体。その高い屈折率のために得られる光の反射は、宝石として貴ばれる。それらの知識の集積を述べることも可能だったが、彼女の機嫌を損ねそうだったから、黙っていることにした。
 もう一つの指環をセシルが取り出し、ロイドの指に嵌めた。装飾品に対する興味を持ち合わせないロイドにとって、それは少し窮屈に感じた。後で外してもいいですから、とロイドが何も言わない内に、セシルは優しく微笑む。キーボードを打つときに邪魔でしょう? もしかしたら、彼女は自分よりも自分のことをわかっているのかもしれない。
 セシルが左手をかざし、はにかんで笑った。ロイドも笑った。胸に満ちる気持ちの名前は、彼女に聞かなくてもきっとわかる。
 幸せというのだ。多分。
 そのとき神父が駆け寄ってきて、順番がめちゃくちゃだ、と喚いた。ロイドとセシルは顔を見合わせて、それから苦笑いをする。
「じゃあ、最初からお願いします」
 聖堂に光は満ちて、他に人はなく、神父の厳かな声が響く。並んで立つ軍服の男女の左手には指環が嵌められ、そうして放たれた問いかけに、二人は共に頷いた。
「誓います」





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2012.07.03.
書きかけで放置していたのを見付けたので、続けてみました。
キャラ単品だとルルーシュ最愛ですが、CPだとロイセシ最愛です。
R2はまだ見ていないので、何か相違がありましてもご容赦ください。