※18禁です※









 自分でも悪趣味だとは思うのだけれど、琴宮の昔の恋人の話を聞くのが好きだ。
 僕がその話をせがむのは決まって二人でワイングラスなんかを傾けているときで、それは僕自身が酒気を帯びて気分が昂揚しているからではなく、寧ろ彼がそうだと思ってくれるからという理由が大きい。素面のときにそんなことを聞けば嫉妬していると思われかねないけれど、酒が入っていればからかっているのだと思ってくれる。何度もねだる理由が嫉妬だと思ったら、束縛されるのが苦手な彼はきっと困っただろうし、実際嫉妬しているわけではない僕は誤解されたくなかったから、お互いの精神衛生上、とてもよろしい。
「ねえ、恋人のお話をして」
 そう言うと彼は誰の話をしようか迷うように首を傾げ、何一つ隠すことなく僕に打ち明ける。どんな出会い方をしたのか、二人でどこに行ったのか。彼女へ贈った物や言葉から、どんな風に寝たのかさえ。彼がどうやってその人のことを愛したのかを、僕に語る。
 彼は決して相手のことを悪く言わない。一度酷いやきもち焼きの女を恋人にしたことがあって、元来恋愛に自由な彼は、当時相当なストレスを強いられたらしい。そして思わず聞き返してしまったのだけれども、結局彼女の方から去った、らしい。どうして君から別れなかったの、と訊いた僕に、彼は笑った。
「声が美しかったから」
 ここまでくると、呆れるを通り越して、最早尊敬してしまう。
 それが彼の愛し方なんだと思う。博愛主義者と呼ぶ人もいるだろうけれど、僕は少し違う気がしている。彼は美しいものしか愛さないし、その基準は彼の中にだけ存在していて、他の誰にもわからない。一つだけ確かなのは、彼は一度愛したものを、決して裏切らない。
 そんな彼の話の中で僕が一番好きなのは、彼の初めての女性の話だ。彼はまだ十二歳、出会いは浜辺、最初の贈り物は貝殻。なんて美しいんだろう。少年の初々しいときめきが、僕の胸を締め付けた。彼女ははるかに年上で、けれど長い髪を揺らして、少女のように笑う人だったと彼は言う。懐かしむような眼差しが憎たらしくて、僕は意地悪く言ってしまう。ベッドではどうだったの。僕があまりやきもちを妬かないと思っている彼は僕が妬くと喜ぶので、にやりと笑う。淑女だったよ。だから彼は紳士なのだなと僕は思い、彼女に感謝する。
 そんな話をした夜は、いつもより、燃える。
 キスをしながら互いに服を脱がし合い、その合間に時折触れる彼の肌の感触に、独占欲と多幸感とが綯い交ぜになっていくからかも知れない。
 彼の大きな手が、僕の体をベッドに横たえる。男性らしく掌の大きな彼の手を意識する度に、彼にはきっとコントラバスなどの大型の楽器が似合うだろうな、と反射的に思う。彼が小さくか細いオーボエやフルートを演奏しているところなど、想像すると笑ってしまいそうになる。だから彼がか弱い女の子ではなく、男である僕を抱いていることは、この手の用途に適っている、と考えて、やっぱり馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいそうになる。だって、人間は楽器じゃない。けれど僕は彼の腕の中で、熱に浮かされたように絶え間なく声をあげる。まるで彼に爪弾かれているかのように。
 彼がこれまで抱いた幾人もの女性、それから多分数人の男性の中で、おそらく彼に最も似合う楽器は、僕に違いない。
 くすくす笑っていると、右の鎖骨の辺りに痛みが走る。見下ろすと、彼がきつい目をしている。
「何を思い出してたんだい」
「ううん、つい、職業病で」
 言いかけた僕の口を、少し乱暴に彼は塞いだ。抱かれる合間にもお喋りな僕を、彼はよく、くちづけで叱る。唇や胸元に落とされるそのくちづけは、時折赤い印を残す。うっかりを装ってそれを首元につけるときだけ、彼はすまない、と薄く笑う。痕をつけてしまったと。お客さんに気付かれたら苦情が来るかしらと思いながら、僕はまた? と笑う。
 肌を吸われる感覚は好きだ。彼の唇が僕の皮膚を柔らかく挟み、離れるときに肌を舐めていく、艶かしい舌の感触も。それにこれは、彼が僕に執着しているということを示すので、もっと付けてくれても構わなかった。けれどねだると僕こそ彼に執着しているようなので、絶対に、言わない。
 僕と反対に、彼は行為の間あまり話さない。僕が彼の声を好きなのを、知っているからだろう。情欲に満ちた目で見詰められ、耳元で低い声で囁かれると、僕はもう、だめになる。
 だから要するに、焦らされているのだ。
 彼は、焦らない。低温の炎火で炙るように、徐々に、熱を高めていく。緩慢な舌の動きに、思わず懇願しそうになる。お願い。もっと、早く、煽って。しかし声を出そうにも、その出口は塞がれ、彼に届くのは情欲だけ。
 深いくちづけが、二人の口内を同じ味にする。最初に舌を絡めたときに感じたワインの芳醇は、すぐに唾液に紛れた。今日のワインは、彼に言わせると「ふくらみのある豊かな味わいで、とても美味」だそうだ。僕にはワインの味の良し悪しはよくわからないけれど、テイスティングの用語はとてもエロティックだと、常々思う。彼もどうやらそれを心得ているらしく、二人きりでいるときにだけ、そんなことを言い出す。だから、彼の昔の話を聞きたくなるのかも知れない。だとすれば彼の思い通りということになって、少々、癪だ。
 彼の舌を噛んでやる。そのまま顔を横にずらして引っ張り、離す。流し目と上気した呼吸とで挑発すると、彼は首元に、食いついた。
 喉笛から、頬の下を通り、耳元へ。皮膚の表面を伝う、その生暖かさに身を捩る胸元に、逃がさないとでも言うように、彼が触れる。そのまま周辺を撫ぜられると、息が詰まり、吐息が掠れる。
「いいこだ」
 彼の息が耳朶にかかり、望んでいた声に嬲られると、背がぞくぞくと震え、弓なりに、跳ねた。そのまま舐められると、湿り気のある音が、聴覚を犯す。
 両方の耳を舐められて、けれど舐め尽くす前に、彼は唇を離した。昂揚を持て余して、濡れた瞳で、彼を見上げる。僕の目尻に小さくキスを落とすと、彼は見詰め合ったまま、口角だけで、笑った。
 汗に濡れてほぐれた髪がさらさらと光を零し、瞳が柔らかく僕を見下ろす。檻のように覆い被さる、引き締まった体。眼前に晒されるそれら全て。
 今は僕だけの、美しい恋人。
「……いまの恋人のお話を、して」
 彼は僅かに頷いて、僕の唇を啄む。
「キスが巧い」
 頬に、鼻梁に、瞼に、額に、キスを落としながら、彼は歌うように言う。「頬が柔らかい」「鼻が高い」「睫毛が長い」「頭がいい」耳元に口を寄せて言う。「美しい音楽を好む」短く鳴いて反らせた喉にも、音を立ててくちづけされる。「声が可愛い」
 肩から上腕、肘、手首へと、彼は入念に唇を伝わせる。きらびやかなオーケストラを前にしなやかに振るわれる、僕の腕。蒼い薄闇の中で伸びたそれに琴宮がくちづける様は、まるで絵画のようだと、陶酔の中で思う。美しい男が愛でるその腕は、本当に僕のものだろうか。
――― 欲しくなる」
 端的に削ぎ落とされた欲望が、指の先を、舐めた。
 胸元から下腹部へと、唇が、ゆっくりと這う。まるでその内側を味わうかのような動きは、やはり焦らしている。ちゅ、と吸い上げられ、舌でねぶる。繰り返されるその動きに、もう我慢できなくなる。彼が唇に戻ってきたとき、筋肉質な背中に爪を立てて、抗議した。すると舌を噛まれて、口の外にまで持っていかれる。しかえし。目が笑う。愉しくて、たまらない。
 今度はえぐるような彼のくちづけに応えているうちに、何も考えられなくなってきたのは、酸欠のせいだけではないだろう。性急な彼の舌の動きに応えているうちに、頭がぼうっとしてくる。彼がすいと離れて、恍惚にとろけそうな目でその動きをゆるゆると追っていると、突然押し入られて、喘いだ。
 強く奥を突かれる度に、甘ったるく重い息を吐き、彼の名前を切れ切れに呼んだ。何度目かに彼の名前を呼ぶと、内側から圧迫していた存在感が消える。締め付けていた内壁が、一気に弛緩するのが、快楽を呼んだ。唇から溢れる呼気を、堰き止めるように彼が唇を押し付け、舌の先で割り入りながら、もう一度、挿れた。僕はきつく目を閉じて、押し寄せる快感に耐えた。
 彼は、それでも僕に、声をあげることを許さない。喉の奥に喘ぎが溜まり、行き場をなくした衝動が、腰の動きになって現れる。恥ずかしいなんて感傷は、とっくに失せている。彼の首に手を回してかきいだく。
 夜が長いことも、短いことも、知っていたけれど。彼と会ってからの夜は、時折永遠にも刹那にもなる。どんな夜も、彼を最も愛するのが僕であることは、変わらない。
「要」
 彼が唐突に僕の頭を抱き寄せる。耳元に唇を押し付け、余裕のない掠れた声が吹き込まれる。耳朶に息をかけられ、甘く噛まれた。「かなめ」内側の律動と熱い息に髄まで犯されて、もう、限界だった。彼にしがみついて果てた後、一拍遅れて、彼も達した。
 息を荒げたまま繋がりを解き、彼が僕の体に体重を載せる。もちろん、重くない程度に。左の頬を撫でられ、反対側に軽くキスされる。僕はふふと甘えて笑い、彼の髪に手を差し入れる。間近に見る彼の睫毛が長くて、見惚れてしまいそうになる。
 彼は首の内側に顔を近付け、舌の先で触れた後、吸った。誰かと向かい合ったとき、ちょうど目に入りそうな位置だ。僕は彼の髪を撫でて、感謝の意を表す。
 所有の印。独占の証。彼が僕を愛する誓い。僕が彼を愛する約束。
「綺麗だ」
 僕の上で上半身を起こして、彼は自分でつけたそれを満足そうに撫でる。僕も満たされて笑う。
 彼が僕以外にそれを与えてこなかったこと、僕はちゃんと気付いているのだ。
 彼は僕の手をとり、指の甲にくちづけた。目を閉じて、花の香りをかぐように。そうしてこんなことを囁く。
「 I want you, darling. 」
 気障な仕草がこそばゆく、くすくすと笑ってしまう。とられた手を翻して頬に触れ、唇に誘う。僕達はキスを交わし、夜は再び短くなりゆく。





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2012.06.03.
えろですが、あんまりえろくなりませんでした。
喘ぎ声を書くのが恥ずかしくて、とてもできそうにありません。
あとこの人達のえろは超濃厚だろうと思うのですが、
私の想像力の範囲を超えていたので普通にしてもらいました。