「なあ、おまえとメルカトルって親友なの?」
「ない」
 昼休み、食堂で昼食をとろうと同じ学部の友人と列に並んでいるとき、その問いは唐突に発せられた。メルが親友? まさか。私はすぐさま否定した。あり得ない、の「ない」だ。まだ命の危機にこそ晒されたことはないが、メルといればいつその機会が訪れるともわからない。大体メルはやることなすこと型破りで、とても善人や小市民と呼べるような人物ではなく、こっちは事件現場に同行する度に彼の言動にドン引きなのである。私は推理小説家になりたいとは思っているが、あくまで小市民として誇らしく生きたいのである。―――でも、友人がそんな風に思うのも仕方がないとは思う。メルが事件現場に連れて行ってくれるのと同じくらい、大した用のない暇潰しの旅行にも付き合わされているし、学内でもメルは容易く私を見付けては遠くからでもやけに響く声で呼ぶのである。舞台俳優でもやればいいのだ。お似合いだ。
「……否定が速いな」
「だってあり得ないだろ。メルと親友になれる奴なんていたらお目にかかりたいね」
 友人はじっと私を見詰めた。
「なんだよ」
「……いや」
「お前の言いたいことはわかる、何も言うな。悉く誤解だ」
 言い放って、目についた品物を皿に載せる。朝は時間がなくて牛乳しか飲めないし、夜はバイトの合間を縫ってコンビニ弁当しか食べられないから、昼はできるだけ栄養バランスを考えて摂るようにしている。それでも安いし美味いのが大学生協のいいところだ。そう言えば、メルもしばしばこの食堂を利用している筈だが、今日は見当たらない。
「なあ、美袋」
「ん?」
 会計カウンターで財布を出していると、友人が至極言い辛そうに口をすぼめた。
「今、外の廊下にいるのが見えたけど」
「誰が?」
「……メルカトル」
 食堂は校舎の二階にあって、ここから見える廊下というのは設計上食堂に出入りするものしかないから、彼の見たメルカトルはきっと食堂に入ってくるところなのだろう。私はそこまで考えて、会計を済ませると、友人も会計を終えるのを待って空いている席に座った。午前中の講義が終わったばかりで食堂は混んでいる。すぐ近くに二人対面して座れる席が空いていたので、友人はそちらへ向かおうとしたが、私は半ば強引に、少し離れたテーブルに空いていた四人分のスペースを確保した。
「あっちで良かったんじゃないか?」
「いや、メルが来ると思うから。面識あるよな」
「……おまえねえ、いい加減、認めてもいいと思うよ?」
「なにが?」
 友人の呆れ顔に、なんのことかわからず問い返す。友人が溜息を吐いて「まあ俺はいいけどね」と諦めたように言うのと同時に、陽気なメルの声が「やあ、美袋君!」と呼んだ。私はわかりやすいように手をあげて彼を呼ぶ。別にメルと一緒に食事をしたいと思ったわけではない。他人の目なんて気にしない彼は余計なお世話だと嘲るだろうが、この友人同士恋人同士で食事を楽しむ食堂で、あの格好で一人で食事するのは、ちょっと寂し過ぎるように思えただけだ。





 ***





 例によって私はとても退屈していた。僅かだがコネを通じて探偵業の依頼が来てはいたが、銘探偵業に相応しい依頼は一件もない。と言って面白そうな事件が舞い込むような予兆もない。こんなときには美袋をからかうに限る。彼は悪運が強いトラブルメーカー体質なので、そのうち何かしらの事件を引き寄せてくれるだろう。
 そう考えて、午前の講義が終わる時間帯を見計らって登校した。日常より更に退屈な授業はサボタージュするに限る。出席日数が必要になる科目はそもそも受講していないから、試験で点数を取ればいいだけの話だ。でなければそうちょくちょく事件のために出かけてはいられない。事件解決を待たずに、大学の単位のために帰るなんてしみったれた姿は銘探偵には相応しくない。
 まだ月の初めだから、美袋もまだ懐が温かい筈だ。おそらく学内の食堂で昼食をとろうとしているに違いない。美袋は仕送りとバイト代で日々の生活費を賄っており、本来それだけならば過不足ない金額だと聞いているが、推理小説の新作が出版される度に後先も考えず買ってしまう。だから月末にはいつも食費に困る、絵に描いたような貧乏大学生なのである。
 この大学には一つしか食堂がないから、すぐにわかった。昼時で食堂は混雑していたが、視線を一周させる前に彼を見付けた。声をかけると手をあげるので、どうやら席が空いているらしい。珍しく気の利くことだ。
「やあ、美袋君。暇かい」
 美袋の前に彼の友人が座っていたので、その横に座る。前に美袋に紹介されたことのある、彼の学部の友人だ。ということは私とも同じ学部なのだが。多分この男から事件の依頼が来ることは一生ないだろうと確信できる凡庸な顔をしている。
「暇じゃないよ。今食事中」
 見ればわかる。
「クイーンの初版を手に入れたんだが」
「なに!?」
「Yの悲劇」
 先月とある筋から手に入れたもので、勿論どの筋かは明かせない。美袋のようなマニアにとっては垂涎モノの激レアお宝本だ。案の定、彼は驚いて喉を詰まらせ、一人ごほごほと咳をした後で、喉の奥から絞り出すような声を出した。一人で忙しい奴だ。
「み、見せてくれ……!」
「ただで?」
 うっ、と唸る美袋。最早食事のことなど頭にないに違いない。無造作に箸を落としたきり、目もくれない。逡巡の末、
「……金か?」
 美袋の疑い深い眼差し。疑心暗鬼に捉われる彼の表情はなかなか面白い。私はそれをじっくりと鑑賞してから、
「まさか、いくら私でも友人から金はとらないよ。今回は特別に無償で見せてあげるよ」
「ほんとか! ありがとう、メル!」
 初めて事件現場に連れて行ってやったときもこんなには喜ばなかったな、というくらいの美袋の笑顔。まあ血腥い現場で笑顔もないか。
「いえいえ、どういたしまして」
 美袋が図に乗らないよう、あまり気持ちを込めずに応える。今まで目もくれなかった隣の男をふと見やると、何か言いたいけれどもそれを必死で堪えているような、微妙な顔をしていた。私は気にせず、感激のあまり立ち上がっている美袋に、座るようにと静かに促した。










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2011.03.18.(2011.11.04.rewrite)
美袋君は絶対メルを親友とは認めないよね、
っていうネタで量産してすみません。
美袋君は無意識に、メルは自覚的に互いに優しい。

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