「愛してるよ、美袋くん」
 そう言って薔薇を一輪渡してやると、私の姿を見たときから既に嫌そうな顔をしていた美袋は、一層顔を歪めて気怠げに薔薇を受け取った。
「毎年毎年、よく飽きないな」
「まあね」
 私は上機嫌で応じる。はあと深く溜息を吐き、美袋は手の中で薔薇をくるりと回す。
一日の最後の授業が終わった教室。放課後の予定があるのだろう足早に教室を出たのが大半、残っていた人間も私の姿を見るとそそくさと教室を出て行った。今この部屋には彼と私だけ。
「いくら嘘だからって、よくそんな恥ずかしい台詞を男に向かって言えるな」
「ほう、すると君は女性になら恥を感じることなく言えるというのかい」
「僕だってそれくらい言えるさ」
「どうだかな」
 むっとして私を睨んだ彼をせせら笑う。彼を嘲るのは日常茶飯事だが、今日は一層特別に愉しい。
 エイプリルフール。本当が嘘に、嘘が本当になる日。
「大体、君は女性と付き合っても長続きした試しがないじゃないか。愛の告白にも誠意が足りないんじゃないのか」
「いつも君が邪魔してくるんじゃないか!」
「終わりの見えているものをずるずると続けたって意味がないだろう」
 私の言葉に、美袋はくそっと毒づく。それで私も溜飲が下がる。
 放った言葉一つ一つが鋭い刃となり、私を突き刺す。この一人遊びの、なんと不毛なことか。
 それでもやめることはできない。だって他に彼と繋がる方法はないのだから。
 だから私はこう言うしかなかった。血塗れのナイフをこの胸に突き立てながら。
「そこまで言うなら言ってみたまえよ」
 はあ? と美袋は脱力した声を出す。私は自分の胸を指さした。
「私を女性だと思って、愛していると」
「思ってもないのに、言えるわけないだろ。大体君を女と思えって方が無茶だし」
「君は小説家だというのに想像力が貧困だねえ。だから君の小説は凡庸だと言われるんだ」
 こうして挑発すれば、美袋はすぐに乗るのだ。単純で、プライドばかり高く、およそ道徳心というものが欠如した彼。おまけにそれに無自覚で、どんな犯罪者よりも性質が悪い。
 銘探偵を除いて一体誰が彼と付き合えるというのだ。
 案の定、美袋はむっとして口をへの字に曲げ、乱暴に音を立てて立ち上がる。私に詰め寄ると、五センチ程低い位置から、彼は苛立ちを隠そうともしない目付きで睨んだ。
「なんだって?」
 低い声が彼自身の怒りを煽っている。
「想像力のない君が何を書いたところで凡庸なものしか出来上がらないって言ったんだよ。どんな賞も君には手が届かないね」
 私も冷たい目で彼を見下ろす。彼が眉をしかめるので、更に凶暴な印象になる。
「言ってやるよ」
「どうぞ」
「愛してる」
「は、気持ちがこもってないな」
 口の端で哂ってやると、美袋は舌打ちをして、一度視線を逸らした。息を吐く。そうして再び顔を上げると、さっきより落ち着いた瞳で私を見た。
 あ、と。
 思う間もなく、彼がふっと微笑んだ。それは優しい人のいい笑みではなく、罠に追い込んだ相手を喰らう前のそれで。
「愛してるよ」
 先程の声音とは明らかに異質なその低い声は、私の首筋をぞわりと撫でた。
 美袋が勝ち誇るようににやりと笑う。それで私は取るべき態度を思い出した。
「……まあまあだな」
 私は鼻で嘲笑うと、なんだとと詰め寄る美袋に薔薇を押し付けた。そのまま教室の出口に足を向ける。
「なんだ、帰るのか?」
 怒りの矛先がなくなったからか、拍子抜けしたような美袋の声。
「ああ。気分が悪い」
「へえ、そりゃお大事に」
 おざなりにかけられるその言葉も、私の苛立ちを煽った。半身で振り返って睨みつけると、美袋は気圧されたようにたじろぐ。
「なんだよ」
「別に。薔薇、枯らすなよ」
「ああ……?」
 曖昧に頷く美袋をもう一度睨んで、私は教室を後にした。
 閑散とした廊下に足音を響かせながら反芻する。
 これまで私に見せたことのない表情。聞かせたことのない声。
 それをこれまで何人の女が見てきたというのか。
 舌打ち。廊下の先の人影が逃げるように身を翻したが知ることか。
 偽りの告白などさせるのではなかった。彼が私以外の人間の前でどのように振る舞うのかなど、演じさせるのではなかった。
 彼は私だけのものではないことなど、誰より理解しているのに。
 唇を噛むと血の味が滲む。その生温い体液と、彼へ贈った薔薇は同じ色をしている。
 真紅の薔薇の花言葉を、彼は知っているのだろうか。





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2012.03.27.
エイプリルフールのメル→美。
気付いて欲しいけど気付いて欲しくないし
でも言ってしまいたい発作を一年に一回だけ発散させるメル。
今年は失敗したようです。