日本人なら誰しも聞いたことがある冬の歌で、犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる、という歌詞がある。僕は犬も猫も飼ったことがなかったが、この歌詞は本当だったんだなあと今、しみじみと思っている。猫にしては大きく、成人男性にしては小さな体を猫のように丸めて入ったまま、こたつから出ようとしないのは猫丸先輩。名前まで猫が丸くなると書くんだから、この人は冬でなくともこうして暖かいところで丸まっているに違いない。
 しかしこたつで丸くなっていては低温やけどや乾燥が心配なので、さっきからちょっと離れた方がいいですよと注意したり、飲み物を差し入れたりしてるのだけれど、猫丸先輩はなかなかこちらの言うことを聞いてくれない。そもそもこたつを買ったんですと二三日前に言ったら、今日になっていきなり押しかけてきて特に何をするでもなく、一も二もなくこたつに入って今に至るので、この先輩がこっちの意見を聞いてくれるとはまるで思えないのだが。
「おい――― 八木沢」
と思っていたら、こちらの考えを見透かしたようなタイミングで話しかけてくるのだから流石である。寝癖のついた髪の毛に、いつもの黒いだぼっとしたようなセーター。寝転がっていた体を起こし、眠たげに目を開いているところがさらに、猫っぽい。
「どうしました? お水要ります?」
「お水お水ってさっきから何度も何度もしつこいぞ。僕が風邪引いて寝込んでるならまだしも、こたつで暖をとってるだけなんだからそんなのおまえさんが心配することじゃありません。そんなことよりおまえさん、ちょっとおつかい頼まれてくれよ」
「おつかい……ですか?」
 それは言い方を変えただけでいつも通りのパシリなのでは、と思ったが、案の定猫丸先輩はしれっとして、
「うん、まあちょっと使いっぱしりをして欲しいとこういうことなんだけどな」
「えー、嫌ですよ」
 どうせ結果は目に見えているのだが、一応抵抗しておく。猫丸先輩はこれまた猫のように目を細める。
「どうせおまえさんのことだから、僕を見ながら、やっぱり猫みたいだなあ、猫がこたつで丸くなるって本当だったんだなあ、なんてまるで筋の通らないこと考えてたんだろ。まったくおまえさんの考えを読み取るくらい簡単なことはこの世にないな」
「どうせ猫丸先輩には敵いませんよ」
「まあまあそう腐りなさんな。確かに僕はおまえさんの思った通り、寒いのが苦手でこうしてこたつでぬくぬくしてるのが幸せなんだから、おまえさんの考えが間違ってるわけじゃない。それでおつかいっていうのはな、ちょいと煙草が切れちゃってね、寒いのが苦手な猫みたいな僕のために一つ八木沢、買ってきてくれないか」
 この小さくて童顔でとても三十路過ぎには見えない先輩は、意外なことにヘビースモーカーだ。僕の家に上がって一本喫ったきり喫わないなと思っていたら、煙草が切れてしまったというわけだったのか。
「ほら、分厚い雲が空を覆ってて、今にも雨か、ひょっとして雪でも降りそうじゃないか。ここを離れて寒い寒い外に出るなんて僕は一瞬でも出来そうにないからさ、八木沢ひとっ走り行ってきてくれないか? な、頼むよ」
 そう言って手を合わせてみせる。
「でも先輩、冬でも外でバイトしてるじゃないですか」
「それとこれとは話が別」
 今度は珍しく先輩のほうが筋の通らないことを言う。まあ、わからなくはないけれど。
「八木沢、頼む」
 顔の前で手を合わせたまま、首を傾げて、上目遣い。三十路男のくせにその仕草が可愛らしいのだから始末に終えない。僕は不承不承を装って頷いた。我ながら甘い。でも僕の家で幸せそうにくつろいでいる先輩の顔を見ると、外へ出ろなんてことは言えなくなってしまう。それに、先輩が煙草を買いにいくのを嫌がるのにはもう一つ理由があるのだ。
 はあと僕はため息をついてみせる。
「わかりましたよ。じゃあ、ちょっと行ってくるんで、大人しくしてて下さいね?」
「さすが八木沢、良い後輩を持って幸せだよ僕は」
 わざとらしく先輩が言うのをはいはいと聞き流し、僕は手早くコートとマフラーを着込む。いってきます、と玄関の戸に手をかけたところで、その金属製のドアノブが冷たいのに驚く。これは外は相当寒いな――― そう思った。すると「八木沢」と呼ばれるのと同時に後ろから何か飛んでくるので、反射的に掴み取る。見ると僕の手袋だった。
「ナイスキャッチ」
 振り返ると猫丸先輩がこたつから出てきていた。暖をとるためだろう、こたつの中に入れてあった座布団を抱えている。
「あ、ありがとうございます」
「おう」
 玄関の戸を開けた時に流れてくる冷気に触れたくないのだろう、先輩はさっさと中に引っ込んでしまう。やれやれ筋金入りだなあと、僕は外に出た。近くのコンビニに向かうことにする。
 数年前から、自動販売機で煙草を買うには、タスポというICカードが必要になった。猫丸先輩が煙草を買うのを嫌がる理由は、まさにそこにある。機械音痴の猫丸先輩はタスポを嫌がってコンビニでだけ煙草を買うようになったが、今度は童顔のために年齢を疑われてしまうというのだ。タスポを買って、以前のように自動販売機で買えば全て解決するのに、頑なにそれを拒むのだから困ってしまう。おかげで非喫煙者である僕がなぜかタスポを持っている。
 コンビニの中は暖かく、不必要に長居してしまいそうになる。レジに向かい、先輩の好きな銘柄を気前良く一カートン買ってやる。どうせ頻繁に家に来るのだから、買い置きしておいた方が良い。それから思い付いて、アイスの雪見大福も買っていく。こたつで温まりながら食べるアイスは格別だし、雪見大福は猫丸先輩も好きだった筈だ。
「ただいま帰りましたー」
 おかえりと返事がないのを訝しんでリビングに入ると、猫丸先輩はこたつに入ったまま、座布団を枕にして寝ている。よだれまで垂らしているのが彼には珍しく隙だらけといった感じで微笑ましい。バイトが続いて疲れていたのかもしれない。こちらの二歩も三歩も先を行く考えをする人だから、煙草を買いにいかせたのも、本当は僕が出ている間だけ寝ようと思っていたのかもしれない。それがあまりにこたつが気持ち良くて熟睡してしまったのだとしたら、このこたつを出した甲斐もあるというものだ。何しろ僕の部屋にはやや大きいこのこたつは、最初から猫丸先輩のために出したようなものなのだから。
 雪見大福を冷凍庫に仕舞い、猫丸先輩の華奢な体を抱えて布団に運ぶ。僕のこんな思惑も猫丸先輩には全部お見通しなのかもしれないけれど、それでも彼が安心してくれる場所であることが、僕の誇りなのだった。





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2011.12.29
タスポが使えない機械音痴の猫丸先輩と、
こたつで先輩を釣る八木沢さん。
八木沢さんが煙草吸うかどうかはまだ確認できてないので
間違ってたらごめんなさい。