出勤のためにナースステーションに来た高階を迎えたのは、にやにやと笑みを浮かべる渡海だった。朝から無理やり見せられたそれに、高階の機嫌は簡単に悪化する。
「……なんですか、朝から締まりのない顔をして」
「これを見給え、権の字」
 呼ばれた名前と、頭上高く掲げられた紙に眉をひそめた。渡海ほど背の高くない高階は、その高さに手が届かない。まったく、人の神経を逆撫ですることに、こんなに長けた男もいない。
「どいてください、邪魔です」
「まあまあ」
「大体、なぜあなたがこんなところにいるんですか。真面目に働くつもりになったなら、回診に付き合ってくださいね」
「あんたにこれ見せたら、すぐ俺の部屋に戻るって」
「一度言うべきだと思っていたんですが、外科控え室を私室として扱うのは止めてください」
「手術職人の俺に、あれより相応しい場所もないと思うがね」
 後からナースステーションに入ってきた医師や看護師が、足止めされた高階を避けて中に入り、業務を始めている。医師としての業務のほとんどを放棄している渡海はとにかく、高階はこのまま付き合わされるわけにいかない。
 気持ちの切り替えはすぐにできたものの、溜息を漏らすのは止められなかった。
「それは何なんですか?」
 仕方なく興味を示した高階に、おっと嬉しそうな声をあげて、渡海は右手のそれを高階の目線に下ろす。
 目に入ったそれは、カルテだった。
「これが……どうかしましたか。確か、あなたが先週手術した患者ですね。術後の経過が悪くて私にフォローを頼みたいということでしたら、喜んで」
「馬鹿言え。あんたや世良ちゃんならともかく、俺は死神に嫌われてんだ」
 もっとよく見ろ、とカルテを近付けられるが、それでは見えなくなるだけだ。この人はたまに馬鹿だ、と呆然としながら顔を離した。
 かルテの下部に、クリップでもう一つ紙が留められていた。便箋?
「手紙ですか」
「俺宛てだ。読んでいいぜ」
 たとえ本人が良しと言っても、他人宛ての手紙を読むのは気が引けた。手を伸ばさない高階に、渡海はしれっと言ってみせた。
「遠慮することねえよ。もう大体の人間は読んだから」
「……大体って」
「あんたが来る前にここにいた奴」
 そんなに多くの人間に読ませる神経も理解できない。睨んだ高階に、渡海はぽんと手を打った。
「そっか。あんたは知らないんだな。医者に渡された手紙はカルテに貼るのが通例なの。俺が無理やり読ませたわけじゃねえよ」
「ああ、そうなんですか。あなたが無神経なだけかと、思わず軽蔑の念を改めるところでした」
 にこりと渡海に微笑んで、高階は手紙を取って目を通した。
「……」
「妬けるだろ?」
 手紙に目を落としたまま顔を上げない高階に、渡海がにやりと笑ってみせた。機嫌が良い。それもその筈。
 その手紙は、ラブレターだったのだ。
 命を救ってくれてありがとうとか、一目惚れしましたとか、なんとかかんとか。便箋一枚によくもここまで詰め込めたと感心するほど、そこには熱い想いが綴られていた。
「……」
「おーい、権の字? 聞いてるか? おーい」
 呑気な呼びかけに、高階の手の中の便箋がぐしゃりと潰れた。
「おい!」
 伸ばされた渡海の手から巧みに逃れ、高階はゴミ箱の上に手紙を持って行くと、びりびりと破いた。
「何してんだあんた!」
 後ろから腕を掴んで、渡海はようやく高階の動きを止めた。手紙は既に跡形もなく破かれ、塵芥に紛れている。復元するのは不可能だろう。
 舌打ちする渡海を、「離していただけますか」と高階が見上げた。
「手が痛いので」
「なんで手紙を破いた」
「手紙? なんのことです?」
 腕は渡海に固定されたまま、高階は両手を広げた。後ろ向きに渡海を見上げる瞳が、昏く光った。
「手紙なんて、どこにあるって言うんです」
 渡海は言葉に詰まり、その隙に緩んだ腕の拘束を、高階は振り払った。向き直り、渡海に相対する。
「あなたがあんまり締まりのない顔をしているから、ちょっと苛立っただけですよ」
 そうしてにこりと笑う顔が、阿修羅の凄みを帯びていた。
「では、仕事に戻ります。あなたと違って、私は忙しいんですよ――― 征司郎さん」
 渡海の体を押しのけて、高階はナースステーションを後にした。





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2012.07.02.
医者に手紙を書くとカルテに貼られるって聞きました。
高階渡海でたかとかって呼んでいます。
渡海先生かっこいいけどさみしがりやだし
高階先生が怒るところが好きなので、高階渡海が好きです。