※Qカヲシンです。
※新劇版で学パロ。多分みんな同じクラスです。





 甘いと言われる自覚はあるのだ、これでも。
「シンジくん」
 試験終了のチャイムが鳴り、教室に詰め込まれた生徒達の緊張が一斉に緩んだ。椅子に座ったまま大きく伸びをする者、長い試験期間の終わりを喜び快哉を叫ぶ者、部活が再開するのを憂う者。皆がそれぞれに試験からの解放を噛み締める中、僕は手を伸ばして、前の席に座るシンジくんの肩を叩いた。
「帰りにピアノを弾いていかないかい」
「あ、うん……」
「ちょっとシンジ」
 彼が頷くより早く、僕達の斜め前の席に座るセカンドが矢のように振り返って噛み付いた。
「今日の夕飯当番はアンタだってこと、忘れてないでしょうね」
「うん、ちゃんと覚えてるよ」
 それならいいのよ、と彼女は大きく頷く。そして視線をスライドさせ、僕を睨んだ。
「アンタも、あんまりシンジに構うんじゃないわよ」
 笑顔で手を振ってみせると、ふんとそっぽを向かれてしまった。彼女は僕がシンジくんに構うのを快く思っていないらしく、何かと敵視してくるのだ。僕はもうすっかり慣れっこである。
 セカンドは委員長と一緒に教室を出て行く。鈴原くんと相田くんもどこかに遊びに行くらしい。ファーストはいつの間にか消えているが、これはいつも通り。試験から解放された学生達にこれ以上教室内に留まる理由がないので、半数以上の生徒が既に教室から出て行っていた。
「僕達も行こうか、シンジくん」
「うん」
 二階の一年生の教室から、三階の音楽室へ。頻繁にピアノを弾きに行く僕は教師から鍵を預けられているので、僕達は誰にも咎められることなくするりと音楽室に入り込んだ。帰宅する生徒の波、部活に急ぐ生徒の群れに逆らって、校舎の奥へと進むのは背徳的で、僕達はくすくすと笑い合う。
 グランドピアノの前に並んで弾く。シンジくんは随分とピアノがうまくなったね、と言えば彼は照れて胸の前で手を振るが、本当にうまくなったと思う。初めて聞いたときから彼の音は好きだったが、前よりもっと好きになった。
 一段落したところで壁際に並べられた椅子に座り直し、指を休めながらおしゃべりに興じた。ここが一番、日の光が届かないからだ。冷房が効いているものの、直射日光はやはり熱い。
 いつしか校舎の中の声は減り、僕達の言葉の合間に、窓に面したグラウンドから届く声が聞こえた。もともと口数の多い方ではないシンジくんは、会話が途切れたタイミングで、ふあと声を上げてあくびをする。
「眠いかい?」
「あっごめん、カヲルくんと話してるのに……」
「構わないよ。なんなら僕の膝で良ければ貸してあげる」
「えっそんな、悪いよ」
 シンジくんは慌てて、胸の前で激しく手を振り拒絶を示す。
「そうだね……。男の太腿じゃ、硬くて気持よくないだろうしね」
「そうだけど、いや、そういうことじゃなくて……」
 シンジくんは戸惑いがちに微笑む。僕は上目がちに彼の顔を覗き込み、嫌かい、と聞いた。
「嫌っていうか……もう……。じゃあ、……失礼します」
 シンジくんはそう言って上体を倒すと、僕の腿に頭を載せた。
「痛いかい」
「ううん、大丈夫だよ」
 良かった。
 そのまま僕達はおしゃべりを続けたが、やがて彼の言葉は途切れがちになり、顔を覗きこむと眠っていた。きっと勉強し過ぎて疲れていたんだろう。おつかれさま、と無声音で囁いた。
 シンジくんに太腿を貸したまま、僕はただ動かずにいた。音楽室は窓こそ閉めていたもののカーテンは引かれず、青い空が刻一刻と色相を変え、目に痛いほどの夕焼けになるまでを見た。運動部で賑わう放課後のグラウンドから聞こえる声は遠く、けれど心なしか小さくなったような気がする。二人きりの音楽室は静謐に包まれつつあった。
 じき部活の終了時刻となるのだろう。そうすれば校門が閉められ、生徒の出入りは禁じられる。だからそろそろシンジくんを起こさなければならないのに、安心しきった吐息を漏らすあどけない寝顔にもう十分待とうと思い直すこと数回、いつの間にかこんな時間である。かれこれ二時間貸しっぱなしの太腿の感覚は既になく、少しでも動かせば痺れて歩くことすらできないに違いない。
 黒い髪を撫でればさらさらと流れ、口元が緩んだ。
 彼をピアノに誘ったのは、僕自身が彼との連弾を楽しみたかったのはもちろん、彼にもそう感じて欲しかったからだ。
 彼は真面目だ。そして優しい。他者の期待に応えることを自分の意志とすることに、疑問を持たない。だから優等生であろうとする。テストの時期はそれが顕著だ。頑張りすぎて、時には自分を追い込んでしまう。
 僕は彼が好きだ。
 だから彼が困っていれば助けるし、今日みたいに疲れていれば癒してあげたい。けれど僕にとって至極自然なその行為は、周りから見ると過保護に映るらしい。例えばセカンドがこの光景を見たら、僕もシンジくんもカンカンになって怒られてしまうだろう。けれど彼女が怒るのは彼女自身が甘えるのも甘やかすのも苦手だからだということを僕は知っているつもりなので、僕はそういうとき、ただ微笑む。
 この気持ちを甘いというのなら、誰もが彼に冷たすぎるのだ。
 額の髪をかきあげる。一歩外に出れば暑い夏が待っているが、冷房の効いたこの部屋では彼の額に汗一つ浮かんでいなかった。目の下に隈が出来てはいないだろうか、と顔を覗き込もうとして、その陰影がわからないことに気付く。
 グランドピアノの脚から伸びる影が、足元まで伸びてきていた。窓の外は既に夜と言って差し支えないほどに暗く、彼の顔を確認することは困難だった。
「シンジくん」
 声をかけ、肩を揺すった。
「シンジくん、帰ろう」
 ううんと声を漏らし、彼が目を開けるのがわかった。
「えっと……カヲルくん?」
「僕はここにいるよ」
 声が上から聞こえること、発育がいいとは言えない僕の硬い太腿の感触、九十度回転して見える音楽室の風景をたっぷり十秒間認識して、
「うわっ、ごめん!」
とシンジくんは飛び起きた。僕が大丈夫と微笑むと、彼も良かったと微笑む。暗順応した目がそれを捉え、僕は安堵する。僕は彼の笑顔が大好きだから、彼には笑っていて欲しいのだ。
「えと……もう夜だね。わっ、もうこんな時間! 早く帰らないと、カヲルくん」
「うん。忘れ物がないようにね……っと、わ!」
 窓の外と時計を矢継ぎ早に確認するシンジくんに返事をし、立ち上がろうと脚に力を入れた途端、耐え難い痛みと痺れに襲われる。僕は椅子から落ちて、床に手をついた。
 まったく、なんてざまだろう。帰り支度をしていたシンジくんが駆け寄ってくれる。もう本当に、苦笑いするしかない。
「足が痺れちゃったよ」
「ごめん、僕がずっと寝ていたからだね」
「ううん、そんなことないよ。ただ、少し待ってくれるかな。ちょっと時間がかかりそうだ」
「もちろん。あ、でも、時間が……」
 シンジくんが顔を上げ、何かを探すように首を巡らせる。その視線がスイッチを押したかのようにカチリとスピーカーが動き出し、今何時、と聞いた僕の声に電子音が被さった。
『下校時刻になりました、生徒の皆さんは速やかに下校して下さい』





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2013.1.3.
Qカヲシン。
Qカヲは私の中であほのこです。