彼に会うには夕暮れが良いと決めていた。
 いつからと訊かれては困る。それは殆ど直感のようなものだった。満月の夜の獰猛な獣ではない、息を潜めて静謐を守る、どこか卑屈な獣が告げる。――― 彼に会うには夕暮れが良い。
 例えばこれがジェームズだったら、リーマスは夜を選ぶ。月が高く昇り、風は柔らかい、出来れば夏の夜が良い。彼は昼間の快活さと打って変わって、けれどその芯を少しも違えることなく、優しい表情で佇む。そして声音は月明かりと呼応するように彼の烈しい強さを淡いものにする。
 シリウスだったら? 朝の眩しいくらいの光が彼にはよく似合う。おはようと云って髪をかきあげ、眩しいと云って目を擦る。そんな仕草がいちいち決まって見蕩れてしまうのは、ホグワーツで彼しかいない。眠気覚ましにコーヒーを淹れ、トーストを齧りながら笑って話したい。シリウスに似合うのは、笑顔だった。
「セブルス」
 ベンチに座り分厚い本の頁を繰る彼の横顔は夕日に映える。白い肌に血の気が差したようだ。こちらを向いた瞳には、僕の姿と、丸くて赤い落日が見える。
「リーマス=J=ルーピン」
 彼は注意深く、けれど冷たくはない声色で僕の名を綺麗に発音する。僕は微笑んで一歩近付く。
 彼も、僕も、明るい昼の光の中では落ち着かない。真夜中では闇が濃すぎて月の光は届かずに、彼は暗闇に紛れて逃げてしまう。光と闇が共存し、朱い日がローブに映える、逢魔ヶ時が丁度良い。
「何の用だ」
「君と話したいんだ」
「僕は貴様と話したくはない。――― 誰とも」
「君、闇の陣営に属するの」
 ぱらりとセブルスは頁を捲る。
「ああ」
 彼の睫毛が長いことをどれ程の人間が知っているだろうか。目を伏せた彼の頬骨の上に長い影が伸びる。その様子がとても美しいことを知っている人間が、一体自分の他に何人いるのだろうか。
 いなくてもいいと思っていた。親友にさえ教えたくはないこの甘美な秘密。けれど今は、誰かに知っていて欲しい。リーマスが死んだら、彼は世界から消えていなくなるのではないか―――
「君は、どこにも属さないと思っていたよ」
「勝手なことを。他人に期待するなんて無駄だということを、貴様は知っていると思っていたが」
「どうやらお互い様だね」
 リーマスはセブルスの隣に座る。セブルスは場所をうつることはしなかったが、一瞬だけリーマスの方を見やった。
「……そういうのもいいよ。他人に期待したり」
「幻滅したり」
「信じたり」
「裏切られたり。どこが楽しい」
――― 生きている心地がしたんだ」
 馬鹿馬鹿しい、と小さく呟いて、セブルスはまた頁をめくる。しばらくの間、リーマスは黙ってその横顔を見詰めた。セブルスが三度頁をめくる頃、再び口を開いた。
「欲しいものはある?」
 鼓動の速さは彼と僕とで同じだろうか。きっと僕の方が少しだけ速い。――― いつでも。彼は何にも怯えていない。彼は何をも怖れていない。彼の大事なものを壊すことは誰にも出来ない。誰一人その術を知らない。それがあることさえも、不確か。
 その時彼がかすかに笑ったように見えたが、おそらく錯覚であっただろう。
――― 僕にも、欲しいものは、ある」
 すっくと彼が立ち上がる。心の臓を守るように、左の胸に本を抱く。黒いローブが夕闇に混ざろうとしている。日が完璧に沈もうとしていた。
 舌が乾いているのを感じる。彼の指で唇を湿らせたいと、感じているのはあの獰猛なけだものなのか。
 気付かれぬように爪を掌に立てた。
「……そこではそれが得られるのかい」
 こくりとセブルスは頷く。目が柔らかくて優しい。彼がまともに自分の顔を見たのは初めてだ、とリーマスは思い出した。
「帰ってくる?」
「いいや」
「……君がいないと寂しい」
 セブルスの瞳孔が僅かに広がる。黒い瞳が愛おしい。その顔は僕にだけ見せて下さい。君がこれから会うどんな人にもそんな顔をしないで下さい。僕以外の誰も彼の心を揺することは出来ないと、永遠に信じさせて。
 信じるなんて馬鹿馬鹿しい、と君は云った。
 けれど信じることは救いだ。
 君が何をしてもどんな死に方をしても僕は君が幸せだったことを信じたいのだ。
「……ルーピン」
 セブルスが躊躇いがちに名前を呼ぶ。リーマスは立ち上がる。冷たい風にローブがなびき、セブルスの髪が彼の顔を僅かに被った。リーマスは彼の手を取った。薬品で荒れた、白い、手。綺麗な手だとリーマスは思う。熱を失った空気の中で、彼の手だけが幾分温かい。
 リーマスはその掌に口付ける。掌は乾いていたが、大きく脈打つ拍を感じた。顔を上げないまま声を殺して叫ぶ。
「死なないで」
「…………貴様も」
 セブルスの言葉にはっとして顔を上げる。手がそっと外された。セブルスは踵を返す。そのまま闇の中へと消えてゆく。
 その背にかける言葉はもう残っていない。
 いつの間にか月が昇っていた。黄色く光り、僅かに膨らみを持つ半円。彼が向かうのとは別の方向に、リーマスも歩き始める。



 狼が生き還るにはまだ早い。










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2007.07.27.
初のリマセブ。
これいつの話になるのか考えてなかったです。。
セブルスがリーマスの秘密を知った後で、多分卒業間近だと思います。。
リーマスは学生時代〜闇払い時代はスネイプに弱音吐いたり結構甘えていたのに
教師として顔を合わせるようになってから全然甘えなくなって
何にもなかったような顔しているのでスネイプはちょっと拗ねていると可愛いと思いました。


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