夢にうなされて飛び起きた。こんなことはいつ以来だろう。寝間着が汗でべとついて、とても不快だ。動悸が落ち着くのを待って、シャワーを浴びるためにベッドを離れる。
片足を下ろすと、スプリングがぎしりと鳴った。慌ててベッドに眠るもう一人を確認する。規則正しい寝息と、あどけない寝顔。起こさずに済んだようだ。ほっとして、今度こそ音を立てないように注意して浴室に向かう。
シャワーノズルから噴き出す熱湯が、琴宮の意識を覚醒させていく。
琴宮が見る悪夢は決まって一つだ。お前さえ来なければと遺族に罵られ、まだわからないのかと顔の見えない犯人が嘲笑う。そして目の前で第二、第三の被害者が死んでいく。いつしか生者の消えた屋敷の中で、血塗れの絨毯をどこまでも歩く――― 。
今は名探偵を名乗る琴宮にも、普通の探偵をしていた時期はあったのだ。
替えの寝間着を着て寝室に戻る。ドアを開けると、薄暗い部屋の中に一条の光が差し込んだ。ベッドの中で要が寝返りを打ち、こちらを見た。琴宮と目が合うと、その表情が優しく緩む。
「悪い夢でも見たの?」
まだ微睡みの中にいる、舌足らずな声。まるで幼い子供にでも問いかけるような、甘い響き。
答えないまま扉を閉じ、ベッドの端に腰掛ける。火照った琴宮の体に擦り寄ってきた要の頭を撫でると、くすぐったそうにくすくすと笑う。指先で遊ばせる彼の髪は柔らかく、触れているだけで心を満たしていく。
まるで夢のように幸せな空間だ。
「……目が覚めただけだ」
要の瞼が下がり、再び微睡み始める頃、ようやく琴宮はさっきの問いかけに答えた。
彼はゆっくりと目を開き、二、三度瞬きをすると、琴宮を見詰めてにこりと笑った。
「なら良かった」
微笑を浮かべて要に見せると、彼のこめかみに口付ける。琴宮の髪から漂うのと同じシャンプーの香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。
「おやすみ」
要も微笑を返事に替えた。しばらくすると、また規則正しい寝息が聞こえはじめる。その頬にかかった髪を、琴宮は人差し指の背でそっと後ろに流した。
琴宮の言葉が偽りであることなど、要には初めからわかっていただろう。浴室にいた時間は不必要に長かったし、ただ目が覚めただけなら着替えたりはしない。もしかしたら最初から起きていたかもしれない。寝たふりくらい彼にはお手の物だろう。
それでも彼は琴宮に問いかけることもなく、ただ優しく頷いた。
夢の内容までは要にもわかるはずがなく、何が琴宮を苛むのかと考えなかったわけではないだろう。しかしそれがどんな内容であれ、要は全てを許容することを選んだ。琴宮の過去の何もかもを受け入れると、微笑みで示した。
だから要といる限り、過去の亡霊は琴宮の前に現れることを許されない。
要の肩に毛布をかけ、口の動きだけでありがとうと告げる。健やかな寝息がそれに応えた。
彼にも、悪夢を見る夜があるのだろうか。
締まりなく緩んだ寝顔が悪夢を見ているとは思えないけれど、琴宮は彼を撫でる手を止めない。隣に自分がいることが彼の悪夢を払うことに繋がるかどうかはわからないが、それでも。名探偵としてではなく、彼を最も愛する恋人として、彼の悪夢を払うのは琴宮の仕事だ。
もう少しすれば太陽が上り、カーテンの隙間から射し込む光が彼の夢に終わりを告げる。
朝日が上ったら、彼のために朝食の準備をしよう。
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2012.05.05.
同棲している琴宮さんと要さん。
琴宮さんの経歴や活動は謎ですね。