思い悩んで変な物を贈られるくらいなら、いっそ何が欲しいと聞いて欲しい。
「ジン。ジーン。おい、ユキアネサ置いてこいよ」
「……あ、ごめん、兄さん」
 ユキアネサを帯刀したままリビングに入ってこようとするものだから、その長い柄が戸口に引っかかり、ジンはもう三分間はその場から動かないでいた。頭の中はずっと一つのことを考えていて、他のことに気付く余裕などないのだろう。ラグナに促されて初めて自分が立ち止まっていることを知り、自室に向かおうと振り返った拍子にユキアネサが壁にぶつかるが、それにも気付かぬ様子で行ってしまう。ラグナは溜め息を吐いて立ち上がり、ジンが去ったその場所に行って壁が無事なことを確かめた。
 ジンの誕生日が過ぎて、一週間が経った頃からだ。すぐにやってくるラグナの誕生日プレゼントに、ジンが悩み始めたのは。
 季節は依然として冬。春が訪れ花が芽吹くのを待ちながら、人々が寄り添う季節に二人は生まれた。
「プレゼントなんかいらねーんだけど」
 何度ラグナが繰り返しても、ジンは頑として頷かない。
「だって、再会して初めて、兄さんの誕生日を祝えるんだもの」
 こういう生真面目な奴なのだ。
 とは言えこんなことがもう一週間も続かれては堪らない。器物損壊はもちろん、ジン自身も怪我しかねない。ユキアネサの精神支配を受けてラグナを追っていた頃だって、自分の身の安全に全く気を使わないものだから、しょっちゅう怪我ばかりしていたのだ。と、これはツバキから聞いたことだが。
 ラグナの言うことを聞かないのなら、周りの協力を仰ぐしかない。不幸中の幸いというか瓢箪から駒というか、ラグナを殺そうとした過程において、ジンも周りの声を聞くようになったのだから。
「だからって、私の言うことなんてもっと聞くはずありませんよ!」
 ノエルは半分泣きそうになりながら、ラグナの胸倉を掴んで揺さぶった。ノエルの涙に弱いラグナは慌てかけるが、そもそも彼女が言うことも大袈裟だ。
「キサラギ少佐、ラグナさんと暮らし始めても私にだけはずっと冷たいままなんですよぉ!」
 世界が均衡と平和を取り戻し、ラグナと暮らすようになって、ジンは変わった。周りに対して高圧的だった態度は穏やかになり、一日中ラグナに付きまとっていることも、ラグナが他の人間と一緒にいるのを見て抜刀することもなくなった。もちろんジンの成長は全て、ラグナがめげることなく言い聞かせてきたからであって、その努力はよくよく認めていただきたい。
 もっとも、ノエルに対してはあまりうまく作用していないようだが。
「私の顔を見る度に舌打ちするし、作った書類も最低二回は直されるし、お茶を淹れても飲んでくれないし、一度なんかお菓子を作って差し入れしたのに、後で見たらゴミ箱に捨ててあったんですよ!」
「それは」
 続く言葉をすんでのところで飲み込む。サヤによく似たノエルの顔を、今でもジンが嫌っているのは兄としても申し訳ない。けれど書類やお茶やお菓子は、おそらくはジンだけが悪いわけではないのだ。秘書官が提出した書類に間違いがあれば仕事として直さねばならないのだろうし、ノエルの料理の腕は破壊的と言ってもいい。彼女の目の前でゴミ箱に捨てなかっただけ、成長を認めてやった方がいいのだろうか。悩むところだ。
「あー……悪かった。あいつの下で仕事すんの、おまえにゃ大変だろ」
 ノエルの顔を見る度に、ジンも、ラグナも、サヤのことを思い出す。サヤと同じ顔をしたノエルは性格も言動もサヤとは全く似ておらず、けれどもし幼い妹が成長していたらこんな表情をしただろうかとか、こんな風に振る舞っただろうかとか、失われた未来に思いを馳せたりもしてしまう。そんな風に追憶と重ねてしまうことを申し訳なく思うのはラグナで、ジンの方ではきっと、そんな自分に苛ついてもいるのだろう。
 ノエルは困ったように視線を迷わせたが、やがて微笑んでラグナを見詰めた。
「でも、尊敬していますから」
 きっぱりとした口調に、ラグナの方がたじろいだ。思えばノエルとジンの付き合いは、士官学校の頃から続く。学生の頃、ジンは大層優秀で、生徒会長を務めたりもしていたという。ラグナの知らないジン=キサラギをノエルはきっと知っていて、尊敬すらしてくれている。
「ありがとな」
 青いベレー帽をぽんと叩くとノエルは慌てて、「キサラギ少佐に怒られます!」





 そして三月三日がやってきた。
 ジンは不気味なほど大人しく仕事に出かけ、ラグナは肉抜きのディナーを用意しながらその帰りを待っていた。ジンの肉嫌いは昔からだが、肉を食べないでどうやって筋肉がつくのか、ラグナにはよくわからない。
 夕闇が辺りを色濃く染め始めると、二人暮らしの家に明かりを灯し、料理を温めなおすために鍋を火にかける。食欲をそそる香りが家に満ち、外にも漏れ出てジンの足を早めてくれるだろう。そろそろ帰ってくる頃合いだ、と予想をつけると間もなく、玄関の戸が開かれた。
 すぐにジンがリビングに入ってくると思われたが、玄関の方ではジンが誰かと話す声がする。
「あの……本当に、よろしいんですか……?」
「何度も言わせるな。さっさと入れ」
 口調こそ荒いが抑えた調子のジンの声にせっつかれ、おそるおそる顔を覗かせたのは、声から予想した通りノエルだった。
「お邪魔しまーす……」
 目が合ってバツが悪そうに笑みを向けられたが、事情の飲み込めないラグナは戸惑うばかりだ。
「なんだよ、仕事の続きか?」
「違うよ」
 ユキアネサを置き、制服を着替えたジンがリビングに入ってきながら言う。押し出されるようにして、ノエルも転がり込んできた。
 ジンの仏頂面を、この家の中で見るのは珍しい。殺気に似た気配すら感じられてラグナは思わず間合いを測りそうになったが、それに先んじるように、ジンは一転して笑顔を作る。
 目を細め、口角を上げたそれは紛れもなく笑顔だったが、どこか貼り付くようなそれだった。
「僕からのプレゼントだよ、兄さん。三人で夕食にしよう?」
「はあ?」
「えっ?」
 ラグナとノエルが唱和するのに構わず、ジンはさっさと食卓に歩み寄り、夕食の準備を進めている。横顔は穏やかだったが質問を拒絶する雰囲気は感じられ、どうやらこれ以上の説明は望めない。
 ラグナと顔を見合わせ、ノエルが小声で尋ねる。
「……あの、ラグナさんって今日がお誕生日なんですか?」
「まあな。何て言って連れて来られたんだ、おまえ」
「『兄さんの手料理を食べさせてやるからありがたくついてこい』って……」
 ノエルにそう告げるジンの様子を、ラグナは容易に思い描けた。仏頂面に低い声、ふんぞり返って言ったに違いない。ノエルにしてみたら先輩であり上官でもあるジンにそう言われては、それ以上の追求ができなくとも仕方がない。
 ラグナは溜め息ともつかない息を漏らすと、料理を盛りつけた皿を差し出した。
「わりぃな。とりあえず、これ運んでくれるか」
「はい!」
 ノエルは持ち前の明るさで返事をして、テーブルへと運んだ。
 ここからがノエルのすごいところで、キッチンからテーブルまでは決して長い距離ではないのに、何度も転びそうになってラグナを慌てさせた。
「おい、ノエ……」
「この愚図!」
 その度に、罵りながらではあったが、ラグナよりも素早くジンが動いてノエルを支えた。ほっと胸を撫で下ろしながら、ラグナは少し拍子抜けしてもいた。舌打ちをしたりきつい言葉を使ったりはしているものの、ほとんど反射的に、ジンはノエルを助けている。なんだかんだ言いつつも、普段からそれなりにうまくやっているのだろう。
 二人の様子を、キッチンからラグナは眺めた。
 ジンとノエルの金髪に、照明が降りてきらきらと眩しくさえあった。ラグナの髪はいつの間にか白く変わり、彼らのように金色の輝きを取り戻すことはもはやないだろう。だからこそ余計に、同じ色の髪を持つ彼らが眩しく見えるのかもしれない。サヤの顔をした少女にジンが優しくしている――優しくしようとしているから、なおさら。
 四人がけのテーブルに、いつものようにラグナとジンは向かい合わせに座り、ノエルはラグナの隣に座る。ラグナが腕によりをかけて作った華やかな夕食を囲み、主にラグナとノエルが喋って空気を明るくした。二人のやりとりを見ているジンは口数こそ少なかったが、常に微笑を浮かべている。
 やがて食卓の皿が空になり、話に咲いた花を束にして飾れそうになった頃、時間を思い出したノエルが立ち上がった。
「あっ、もうこんな時間。長居しちゃってすみません。お料理おいしかったです、ラグナさん」
「おう。今度、料理教えてやるよ」
「わあ、ありがとうございます! あの……キサラギ少佐も、お招きくださってありがとうございました」
「夜道に気を付けて帰るんだな」
「少佐がおっしゃると怖いです……」
 それじゃあ、と可憐な笑顔を残し、ノエルは帰っていった。夜道に少女が一人では危ないとは思ったが、ラグナが送ろうと申し出てもノエルは固辞した。これがありますからとベルヴェルクを出されてしまうとそれ以上は言えず、明日無事に出勤することを約束させるに留めた。
「……」
 彼女が去った家はいつもより静かに感じられ、ジンとラグナはまるでぽつんと二人きり取り残されたように、少しの間立ち尽くした。
 兄さん、とジンが呼ぶ声も、どことなく淋しげだ。
「兄さん、楽しかった?」
 ジンが向き直り、ラグナの顔を控えめに覗き込んだ。細められた瞳の奥を見ることはできず、唇は穏やかな声を発して、微笑みを形成している。静かな声に、けれどラグナは皮膚がざらつく感覚を覚えた。問いに応えないまま、弟をじっと見詰める。
「……どうしたの、兄さん?」
 ジンは首を傾げた。彼がよくする仕草だ。甘えと媚びを含んだ、ラグナの前でだけ見せる隙。いつもはにっこりと、あるいは期待するように潤んだ瞳がラグナを見詰め、答えを迫るものだが、今ラグナに向けられる視線は不安だけで構成されていた。
 さらさらと雨のようにジンの細面を飾る金髪を、一房手に取って掌に広げ、親指の腹で撫でる。ごわついているラグナの髪と異なり、それは滑らかな糸のようにほぐれた。この家で暮らすようになってから使っている洗髪料は二人共同じなのに、不公平なことだなと思いながら、今度はジンの頭に手を載せ、かき回すように撫でる。わっ、なに、とジンは慌てるが、ラグナの親愛を表す行動だと知っているからだろう、声のトーンは上がった。それでラグナも興が乗ってしまったというか、もう一方の手も加勢して、綺麗に整えられたジンの髪はもうぐちゃぐちゃに絡まっている。
「よし」
 手を離すと、ラグナは満足気に頷いた。
「男前になったんじゃねえの」
「もう……何してくれるのさ兄さん。殺すよ」
 乱れた髪の間から睨まれても、隠せていない照れがラグナの顔に笑みを浮かべさせる。このところすっかり大人しくしていたジンだから、物騒な言葉は逆に新鮮ですらあった。ほんの少し前までは顔を合わせる度にそんな応酬しかしなかったのに、現状身を浸している平和にすっかり慣れて、牙を抜かれた獣が二人、殺し合いという名のじゃれ合いばかりが捗る日々だ。
 手櫛で髪を整えるジンの頭に、ラグナはぽんと掌を載せる。
「なかなか良いお兄ちゃんやれてたぜ、ジン兄様」
 ジンがよくするように、語尾を甘えでとろかせながら、俯こうとするジンの顔を覗き込む。目にはふわりとした笑みを浮かべたまま、床に落ち、沈み込みそうになるジンの視線と心を繋ぎ止める。
 ――サヤのお兄ちゃんなんだから。
 幼い頃、ジンの意志を封じるにはそう告げるだけで足りた。
 言葉でも言葉以外でも、彼の気持ちを押し込め、我慢を強いたのはラグナだ。病弱な妹の面倒を見るからと理由をつけて、自分を慕うジンの気持ちを無下にし続けた。全ての因縁の始まりはジンの嫉妬だと人は言うけれど、それを育んだのはラグナなのだ。
 それをもう、自分達は知っている。
 ジンの瞳を真っ直ぐ見詰め、ラグナは柔らかく、けれど強い口調で言ってやる。
「もう我慢したり、無理したりすんな。おまえは、俺の弟なんだから」
 サヤの兄である前に。もちろんノエルの兄でもなく。
 ジンの瞳が震え、唇がわななきながら兄さん、と呼んだ。気持ちが届いたことがわかると途端に照れくさくなって、ラグナはジンから顔を離し、人差し指で頬を掻いた。
「あー……なんだ。おまえが無理してたら、俺は楽しくねえんだよ。作った笑顔なんか見せるんじゃねえ。どんなおまえでも、俺は受け止めてやるから」
「兄さんっ!」
 大きく腕を広げ、ジンはラグナの首にかじりつくように抱きついた。見た目よりも筋肉のあるその質量を受け止めながら、頭を撫でようか背中を温めてやろうか迷ったが、ラグナは片手でジンの髪を、片手で背中を撫でた。ジンが頬ずりをする度にその髪がラグナの首筋をくすぐり、それに混じって唇の感触がラグナの皮膚を粟立たせるのに、そう時間はかからなかった。指の腹で脇腹を撫でられ、思わず身を捩る。
「っおい、ジン」
「兄さん、誕生日おめでとう」
 言いながら、ジンはラグナの頬にキスを落とす。軽く触れるだけのそれは、親愛と祝福をラグナに伝えた。ジンとは異なり手触りの良くないラグナの髪を撫でながら、ジンは満足そうに息を吐き、ラグナの肩に頭を埋める。
「何をあげたら兄さんは喜んでくれるだろうって、考えたんだよ? そしたら、やっぱりサヤと……今はノエル=ヴァーミリオンだけど、あいつが一番良いような気がして」
「それは間違ってる。ノエルは俺達の妹じゃない」
 きつく言ってから、ラグナはぼそりとこぼす。「おまえだけでいいんだよ、今の俺には」
 精一杯の口説き文句だったのだが、ジンは不服そうに、唇を尖らせてラグナを睨む。
「僕があいつを助ける度に、嬉しそうな顔していたくせに」
 なるほどね、とラグナはやはり、溜め息をつく。だからこいつはわかっていないというのだ。
「嬉しいに決まってんだろ、弟の成長は」
 きょとんと見返すジンの額を、ラグナは指先で突いてやる。同じことを、言葉を変えて何度言ってきただろう。それでもわからないと言うのなら、わかるまでずっと言ってやる。
 なにしろ今日は、大人になった二人が共に迎える、初めての誕生日。繰り返す季節の中で何度も迎える、そのたった一度目なのだ。
「おまえが俺を兄さん兄さんって呼ぶように、俺にとっても、おまえは大事な、――可愛い自慢の弟なんだよ」
 ラグナの言葉が浸透するにつれ、ジンの顔が赤らみ、花のように唇が開く。眉尻が下がるとそれは、ラグナが子供の頃からよく知っている、ジンの笑顔だ。
 ラグナの腰に手を回すと、脚を絡めて押し倒すようにしながら、ジンは顔を近づける。にやけてどうしようもないというように、締まりなく笑った顔には警戒心も殺意もない。
「可愛い?」
「可愛い、可愛い」
「自慢の?」
「自慢、自慢」
「うふふ」
 ぐいぐいと迫るジンに壁際に追い詰められて、ラグナはもう逃げ場がない。全くバランスを考えないジンの分まで倒れないようにバランスを取ろうとすると、自然と彼の腰に手を回さざるを得なくなる。もつれ合って転びそうになりながら、ジンは掠れた声で煽る。
「兄さん。誕生日プレゼントは……僕でいいよね?」
「いや、もうもらってるんで」
「楽しくなかったって言ってたじゃない。遠慮しないでよ、兄さん」
「嘘うそすっげえ楽しかった。サンキュージン」
「んもう……嘘吐くなんて、いけない兄さんだね」
 詰るジンの手に剣こそなけれど、瞳や笑みの凄みは殺し合いの際に浮かぶそれと同様で、ラグナに逃げる隙を与えない。そもそもラグナが逃げるだなんて想定にすら入っていない、可愛げのない弟なのだ。
「あっでも、どっちかって言うともらうのは僕だよね。もう僕の誕生日に兄さんはもらっちゃったし、そもそも今日は兄さんの誕生日だし、どうしたらいいのかなぁ」
「ぐちゃぐちゃ言ってるんじゃねえよ、ジン」
 溜め息を一つ吐いて、ラグナはジンの言葉を止める。「どっちでもいいけどよ――ここ、玄関だからな」
「……! じゃあ、ベッドに連れてくね兄さん!」
 ジンに抱きかかえられながら、ラグナは溜め息を吐く。
 何が欲しいと訊かれていたら。
 多分、ラグナはジンにこう答えただろう――周りの奴らと仲良くしろ。それから、俺とも。
 後者については、そんなこと口に出して言える筈がない。だから訊かれなくて良かったのだし、こうして結果を見てみれば、ラグナの願いは全て叶っていたりする。女を扱うようにうやうやしくベッドに運ばれて、己の体に乗り上げるジンを見上げて、ラグナは思わず笑ってしまう。
 最高の誕生日だぜ、とラグナはもちろん口に出したりしないので、どうかしたの兄さん、とジンは不思議そうに首を傾げた。





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2014.03.03.
ラグナ誕生日おめでとう!
ジン誕小説と繋がってます。
兄さんに誕生日をお祝いしてもらったジンが、兄さんの誕生日をお祝いするべく頑張る話。
三兄弟妹かわいいです。