何が欲しいと聞けば、当然のように兄さんと答えられた。
「却下」
「えー」
 何度も繰り返されたやりとりは、けれど飽きることもなく定着してきつつある。ラグナはうんざりした白い目をジンに向け、ジンは甘えた声で不満を示す。そこまでがワンセット。
 ちらりと壁のカレンダーに視線をくれた。弟の誕生日は、もう翌日に迫っている。二月十四日。氷を術式とする男が、雪のちらつく冬の盛りに生を受けただなんてぴったりだ。その日付が意味するものがもう一つあったような気もするが、ラグナは思い出せずに溜め息を吐いた。
「せっかくの誕生日なんだから、もうちょっとわがまま言えよ」
「……! 兄さんが優しい……!」
「いつも優しくされたきゃ大人しくしてろ!」
 じゃれつくのと殺し合いとを同時にしてくる相手に、無警戒に優しくするなというほうが無理な話だ。怒鳴りつけてもう一度溜め息。そんなラグナを見て、ジンはにこにこと顔をとろけさせる。人の話を聞かない奴だ。
 ラグナはもう一度息を吐いてやる。ジンも息を漏らしたが、それは微笑に近かった。
「……本当に、何も要らないんだ」
 発せられた声は優しく落ち着いていて、やや唐突な感じすらした。思わず頬杖を外して、ラグナはジンを見詰めた。
 近頃、ジンはこういう声をする。ラグナを追いかけてユキアネサを振るっていた頃には聞かなかった、どこか余裕のある声。それはもしかしたら、こうしてラグナと暮らすようになったからかもしれない。家族のように、家族として。
 ジンは慈しむように微笑んでいる。
 統制機構から帰ってすぐに彼の部屋に置かれ、ユキアネサはこのリビングから遠ざけられていた。相変わらず無職のラグナが日中作ったシチューによって二人はすっかり空腹が満たされており、暖炉の火が部屋をあたためている。磨き上げられた食器に、照明がきらきらと反射していた。
「でも、どうしてもって言うなら、兄さん」
 一言一言を確かめるように、ジンはゆっくりと発音し、ラグナの目をじっと見詰めた。挑発するでも、懇願するでもなく、その視線は丁寧な愛情のみで構成されていた。瞳の翡翠色はラグナの左目と同じはずだったが、ジンの方が淡く、透明度が高いように見える。兄の欲目かもしれない。ジンはその瞳を柔らかに細めた。
「明日、僕の部屋に来てくれる?」
 ラグナが頷いてああと言うと、ジンは嬉しそうに笑った。





 以上が昨夜の話になる。日付が変わり、二月十四日は今日を指していた。
 ラグナは統制機構の、ジンの部屋の前に立っている。
 金色のネームプレートに彫られたその名前と階級に、本当に少佐なのだと確かめる。イカルガの英雄は、今も尊敬を集めているのだろう。
 ジン=キサラギ少佐。意匠を凝らした文字でそう彫られたプレートを見つめてみたが、ジンが少佐という地位を持ち、有能な軍人として重用されている事実を認める試みはうまくいかなかった。ラグナにとってジンは厄介な弟で、軍人としての能力を評価するには、過去の因縁が少々厄介なのである。
 ネームプレートにばかり気を取られ、ノックを忘れた。部屋の扉を開けるとすぐに、弾んだ声がラグナをたじろがせた。
「兄さん!」
 ジンが勢いよく駆けて来たと思ったら、ラグナが扉を閉めるのと同時に目の前に立っている。
「本当に来てくれたんだ」
「当たり前だろ」
 他ならぬ、弟の誕生日なのだから。
 そう続けるには照れくささが邪魔をして、上目遣いに見上げる弟の視線から、ラグナは視線を逸らした。その仕草に満足したように、うん、とジンはにっこり笑う。
「こっち来て、兄さん」
 コートの袖を引かれ、ラグナは先程までジンが座っていたとおぼしき、執務机の椅子に座らされる。机の上にはやはり先程までとりかかっていたのだろう書類が並び、ペン先はインクで湿らされていたが、ジンは頓着せずに全てを一緒くたに机の下に落とした。
「おいッ、いいのかよ」
「だって兄さんの方が大事だもん」
 あっさりと言って、ジンは机に腰を預けてラグナに相対した。元賞金首、現無職の男に重要度で劣る書類がどこにあるのか。本当に、これで少佐なのだから恐れ入る。呆れて鼻を鳴らすと、部屋中に立ち込める甘い香りに気が付いた。
「なんかこの部屋甘くねぇか」
 するとジンは顔をしかめ、短く溜め息を吐いた。大きな目が険しく細められると、途端に剣呑な雰囲気をまとう。ノエルの前ではほとんど常にしているらしい、ラグナの前ではあまり見せない表情である。
「ごめんね、兄さん」
「あ? おまえが原因なのかよ?」
 ジンの体に顔を近づけるが、特に甘い香りが強くなるわけでもない。ジンは虚を突かれたように一瞬言葉を失ったが、すぐに部屋の隅に視線をやって、あれ、と示した。
「断るのも面倒で、そのまま積んでるんだけど。兄さんが本当に来てくれるんなら、処分しておけば良かった」
「処分って、おまえ……」壁際には色とりどりの箱が無造作に積み上げられており、ラグナの頭は久しぶりに回転した。「……バレンタインか!」
 ラグナがようやく合点すると、そうだよ、とジンはきょとんと答えた。
 二月十四日。バレンタイン。忘れて思い出せずにいたその単語が日付と結びつき、ラグナは呻く。長年賞金首だった男に、その単語は縁遠すぎた。
「ひょっとして、兄さん、バレンタインのこと忘れていたの?」
「ああ、そうだよ! 悪いな! どうせ俺には縁のないイベントだよ!」
 やけになって怒鳴ると、「もし兄さんに何かあげようなんて女がいたら、僕が切るけど」と弟は聞かなければ良かったと思うようなことをさらりと言って、
「じゃあ、本当に、僕の誕生日を祝うためにだけここに来てくれたの?」
「だからそう言ってんだろ!」
「兄さん!」
 全ての感情を、兄さん、と呼ぶ声にこめるのはジンの悪い癖だ。おかげでこいつが何を考えているのか、ラグナにはさっぱりわからない。抱きつかれそうになったのでジンの額を押さえて拒否する。しばらく格闘して部屋の温度を上げるのに貢献したが、やがてジンの方が諦めた。
 姿勢を立て直し、着衣の乱れを直すジンを、ラグナはさりげなく眺めた。さらさらと流れる金色の髪、細面のよく整った顔立ち、気品ある立ち居振る舞い。身長だってラグナよりは少し低いが、それでも平均よりは高く、女性を優雅にエスコートするには充分だろう。世の女性が彼を放っておかないのもむべなるかな。
 その男が今日という日にラグナを自室に呼びつけて、大勢の女性達から贈られた好意を、憎むように睨んでいる。
 ジンは贈り物の山から視線を外すと、小さな溜め息と共に呟いた。
「……あんまりいないんだ」
「あ?」
「誕生日を祝ってくれる人」
「あ―……」
 だから嬉しくて、とジンははにかんだ。その視線がラグナの目元を離れ、胸元のあたりをさまよう。
「……兄さんは怒るかもしれないけれど、兄さんが僕の誕生日を祝ってくれるなんて、さっきまで信じられなかった。一緒に暮らしてくれるだけで、その――夢みたいで。……でも、本当なんだね。バレンタインでもなんでもなくて、僕の誕生日を、お祝いしてくれるんだね」
 それはついさっきラグナが望んだ、ジンの気持ちの吐露だった。
「……」
 なぜバレンタインにラグナからチョコレートがもらえるつもりでいたのかという点は置いておいて。
 がしがしと頭の後ろを掻いて腕を広げる。顎を突き出すようにして、ジンを促した。
「ん」
「ん?」
「来いよ。抱きしめてやる」
「……っ兄さぁん!」
 感極まったように叫んだジンは、けれどラグナに抱きついては来なかった。ちょっと待ってと言いおいて、背中を向けて机の引き出しを開けている。
「なんだよジン、来ねえのかよ」
「えっ、待って、僕が兄さんを抱きしめたいから待って。あっ、はい、これ」
 振り向きざま、口に何かを押し込まれる。ジンの制服の布が翻って邪魔をしたため、ラグナの動体視力でもとらえられず、対応できなかった。
「んぐっ!」
 反射的に咀嚼しながら、口内に収まりきらずに落ちそうになるそれを手で拾う。舌の上には、覚えのある甘みが広がっていた。「……チョコレート?」
「うんっ」
 ジンは嬉しそうに頷き、ラグナの膝に乗り上げた。片方の手で頬を撫で、もう片方の手を空いている方の手と絡める。それは同時に、ラグナの脚と手を固定したということでもあった。
 うっとりとした顔で、ジンはラグナの頬の上で指を滑らせた。甘い声音で兄さん兄さんと呼びながら、指は耳の後ろをなぞる。身動きがとれないままラグナの首筋がぞわりと粟立つ。舌っ足らずな口調と艶かしい指の動きが一致しない。ラグナの前に弟としているジンと、軍人として尊敬されるキサラギ少佐が一致しないのと同様に。
「これは僕が用意した、兄さんのためだけのトリュフだよ!」
「おまえ、何年か前にチョコに毒仕込んで俺に送りつけたよな?」
「今年は何の毒も入れてないから安心してね!」
「おう、そりゃ、どうも……」
「やっぱり誕生日プレゼントは、兄さんがいい」
 例の穏やかな声で請うように目を覗き込まれると、結局のところ弟に、ジンに弱いのだということを、ラグナは認めざるを得なかった。それを感じ取ったのだろう、ジンは表情を一転させると、許されることを前提とした甘えを存分に含んで笑い、首を傾げた。
「ね、兄さん?」
 いくらラグナが鈍感と言っても、その声に含まれた甘えも信頼も慕情も愛も、気付かないわけがないのだ。
 ラグナは半分ほど残っていたトリュフを口に含み、つまんでいた指先の汚れを舐めとった。それを待ちきれないというように顔を近付け、チョコレートで汚れたラグナの口元に自分の唇を寄せながら、ジンは囁く。
「ハッピーバレンタイン、兄さん」
 空いた片方の手を、ジンを引き剥がすのではなく彼の首筋を撫でるのに使いながら、ラグナも言う。一年に一度の大盤振る舞い、ありったけの感謝と祈りを込めながら。
「ハッピーバースディ、ジン」





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2014.02.14.
ジン=キサラギ少佐誕生日おめでとうおめでとう。
誕生日おめでとうの気持ちとジンラグバレンタイン萌えを詰め込んでこうなりました。
もらったチョコレートを相手に食べさせてからキスして自分も食べるって可愛いなと思って書き始めたんですけどなんか違う。

アニメからBLAZBLUEにはまり、ただいま世界観の勉強中なのでパラレルワールドくらいの気持ちで読んでください…。
全部終わってハッピーエンドを迎えた後、二人暮らししてる兄弟です。
統制機構は多分統制機構って名前の何か。