「いいよ……初詣なんて……神様にお願いすることなんてないし……」
 色とりどりのドミノに囲まれて、音野は小声で言う。
「何言ってるんだ、音野」
 私は適当なところからドミノを倒した。全体の半分ほどが綺麗に倒れる。
「あっ」
「良い機会だから、もっと依頼人が来るようにお願いしないと」
「事件なんか起こらない方が良いんだから、依頼人も来ない方が良いんじゃ……」
 む。探偵のジレンマを突っ込まれてしまった。さすが名探偵、鋭い。しかし世には、名探偵音野順の活躍を待っている事件がたくさんあるのだ。私はそう信じている。
「じゃあ、人が傷付かないような事件の依頼が来るようにお願いしよう」
「そんな都合の良いお願い、聞いてくれるかな……」
「神様なんだから大丈夫さ。ほら、音野。立って、コート着て、マフラー巻いて。あ、手袋持ったか? よし、行くぞ」
 崩されたドミノを名残惜しそうに見詰める音野の手を引っ張って、私は神社へと向かった。



 小一時間電車に揺られて辿り着いた神社は、人、人、人でごった返していた。人混みに慣れていない音野は軽く人に酔っている。ちなみに、事務所の近くにも神社はあるのだが、こっちの神社のほうが有名でご利益がありそうだったので遠出したのだ。年に一度のチャンスはフル活用しないと。
「音野、はぐれないようにな」
「む、無理っ」
 ぎゅむむむ、と音野がどんどん人並みに揉まれて攫われ、小さくなっていく。仕方がないので人の流れに逆らって進み、音野を探す。こうも人が多いと、小さな音野はすぐに見失ってしまう。
「し、白瀬、こっち」
 小さな声が私を呼んだ。
「見えない。手を挙げてくれ」
 少し離れたところから、ぴょん、ぴょんと兎の耳のように飛び出る手。成人男性にしては小さめの五本の指が、こちらの注目を集めようと精一杯伸びている。近寄ってその手を掴んでやると、本体であるところの音野は目を回してぐったりとしている。
「しっかりしろ、音野」
「うう……」
「結構流されてしまったな」
 本堂までの道を半分くらいは進んでいたのに、すっかりスタート地点まで戻されてしまった。行く手を分厚い人の壁が阻んでいる。
「……事務所の近くの神社に行こうか、音野」
「うん、帰ろう!」
 音野が何度も首を振って賛成する。帰りたいだけなのではないだろうか。神社に行くんだぞ、神社に。
 私は音野の手を掴んだまま、駅へとって返す。また見失っては大変だ。神社から帰る方向の電車は混んではいるものの、一人分だけ空いているシートがあった。私は手を離し、遠慮する音野を無理やり座らせる。名探偵があまり疲れないよう管理するのも私の役目だ。
 事務所の最寄りの駅は改札を出ると道が左右に別れており、右に行くと事務所が、左に行くと神社に行くことができる。案の定、音野は躊躇なく右の道へと進路をとった。私は再び手を引っ張って、無理やり方向転換させる。急に力をかけられて、小柄な音野の体が不自然な勢いをつけて止まる。
「うっ」
「音野、神社はこっち」
「もう帰ろうよ……神様もおれなんかに来て欲しくないよ……」
「なに言ってるんだ、名探偵が初詣に来て喜ばない神様なんかいないって」
「そんなわけない……」
 ぐずぐずと嫌がる音野の手を引っ張って神社へと連れて行くと、先程の比ではないものの、こちらの神社もそれなりに混雑していた。賽銭のための四人横並びの列に並ぶと、音野が逃げたり立ち止まったりする心配もないので、やっと手を離す。
「あ」
「どうした? 音野」
「小銭がない……」
「仕方ないな。はい、五円」
 五円なのは、ご縁がありますように、とかけているからだ。
「ありがとう」
 音野が小さな手で五円玉を握る。硬貨を落とすのを心配してか、ぎゅっと掌に握りしめている。
「なにをお願いすればいいのかな……」
「殺人事件以外の依頼がたくさん来ますように、だろ」
 突然放たれた物騒な言葉に、周りの人々が一斉にぎょっとした顔をする。しまった。ついいつもの調子で話してしまったが、ここは事務所でも事件現場でもないのだ。私と音野は顔を見合わせて口を噤んだ。
 やがて私達の順番がやってきた。私も音野も賽銭の正式な手順なんて知らないので、前に並んでいた人のやり方を見よう見まねでやってみる。先に私が、続いて音野が小銭を放ると、ちゃりんちゃりん、と小気味良い音が箱の中で聞こえる。
 私は手を合わせながら、隣の音野をちらりと見た。
 手袋をつけてもこもこと膨らんだ手を合わせ、殊勝に拝んでいる。寒さのためか、その頬はほんのりと赤い。ちゃんとお願いしているようだ。
 私も目を閉じて自分の分のお願いごとをすると、音野の共に列から離れた。
「ちゃんとお願いしたか?」
「うん」
「よし、よくやった」
 これで今年も、名探偵音野順の活躍は安泰だ。
 音野に依頼人増加のお願いを任せた私は、今年こそ音野が決め台詞を言ってくれるようにとお願いしたのである。





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2012.01.01.
2012年お正月の過ごし方・白音編。
白瀬は自分本位なお願いごとをしそうです。