僕は彼の泣くのを一度も見たことがなかった。そして僕が思うに、僕だけでなく、この世界中の誰も彼の長い睫毛が涙に濡れるのを見たことがなかった。見ているだけで鳥肌が立つような怪我をしても、聞いているだけで悔しくて涙の出るような罵倒を受けても、彼は僕らを見下すように冷徹な表情を崩さない。――― 泣くのだろうか。彼は、一人で。そうだとしても、彼はきっと暗く明かりのない部屋で声を殺して泣くのだろうと、僕はほとんど確信に近くそう思った。けれどそこに行って彼の肩を抱き髪を撫でて頬にキスをすることが、果たして僕のエゴであるのか愛情であるのかわからなかった。ましてや彼のためになるのかなど。彼は僕の前で泣くことを自分に赦すのだろうか?
 力強い雨の音が世界を覆い、振り返って見たホグワーツの塔は煙るように霞んでいた。薬草を採りに行くのだと、午前中に会ったときにセブルスは言っていたが、夕方になって、俄雨だろうか土砂降りの雨が降り始めた。もう戻ってきているのだろうか、それとも熱中のあまりまだ外にいるのだろうか。考えた挙句、結局僕はこうして傘を持ってセブルスを探しに来ている。セブルスは集中すると他のことを考えない。集中していなくても、そうかも知れない。彼はいつもとても前向きだ。そして彼の前にない有象無象をことごとく顧みない。彼の眼には何が映っているのだろうか? 彼は語らない。僕はわからない。誰も知ろうとしない。――― 何が、見えるの?






[眩暈 : パーフェクトスター パーフェクトスタイル]






 忍びの地図を頼りに小一時間探し回り、やがて小柄な黒い人影を見付けたときには安心した。雨はまだ降りやまない。どうやら通り雨でもないらしい。他に人気のない静けさを切り開くよう、僕は殊更に声を張って彼を呼んだ。
「セブルス!」
「……ジェームズ」
 彼の顔にも安心したような微笑が浮かんだ。傘を持たない彼は、ローブのフードで頭を覆っていたが、それでも全身が水に漬かったようにずぶ濡れだった。前髪が額に貼りついて、頬を伝う水滴が涙のようだった。まるで泣いているように。
 心臓の鼓動が少し速くなる。
 また君は熱中して、と小言を言いながら傘を持たせる。これは誤魔化しだと自覚し、鼓動が戻るのを待つ。用意したタオルで髪を拭くと、セブルスは慣れたもので、まるで気にしない様子で採取した薬草の説明を始めるので、僕は少し笑ってしまう。
 君が泣くのを望む僕を赦して欲しい。
 曝け出された彼の額にキスをし、彼の瞼の上に掌を重ねた。下で眼球がぐるりと回るのが生々しく伝わり、それはただ小さい球を転がしているようにしか思えなかった。
 この眼が彼に何を見せるのか。彼の感情はこの眼に涙を流させるのか。揺れる世界の中で誰もが視界を狭くする。大事な人の幸せを願うだけで日々が過ぎゆく人が大多数の世界で、彼は明らかに異質だ。彼は自身の幸せを打ち捨てて、誰の愛も請わず、ただ世界の安寧を願っているようにも見られる。だから不幸せすら彼を素通りし、視界を歪める感傷というものは排除され、彼が泣くこともないのかも知れない。
 けれど彼は笑うのだ。花が綻ぶように。彼は怒るのだ。噛み付かんばかりの勢いで。彼に感情がないなど嘘だ。
 流されない涙は幸福ゆえか、それとも絶望ゆえか、果たして。
「……ジェームズ?」
 この掌を外せばきっと彼は怪訝そうに眉をひそませ、僕をじっと見詰めるに違いない。彼の真っ直ぐな視線は心地よい。眼球を壜に詰めて飾っておけたら、その想像に、僕はくらりとタブーを感じた。いつでも禁忌は堪え難い悦びである。恋においてさえ、あるいは、恋においては特に。
「僕は君のことがほんとに好きなんだなって思ってたとこ」
「ふん」
とセブルスは一笑に付す。勝気でひねてる彼の、人間愛。
「気でも狂ったんじゃないのか」
「そうかもね」
 僕はそっと掌を外し、彼の視線を受け止めた。黒い瞳の中に僕が宿る。気が狂ってしまえばいいのに。僕は懲りずに思う。そうして視界を狭めてしまえ、君を顧みない世界など入りきらないくらい。それとももう狂っているの? だって自らの幸福を願わない者を、果たして正気と呼べるのか、このいつでも真剣な瞳を見ては最早わからない。――― 彼は自分を信じている。自分が世界の一員であり、礎であるのだと知っている。セブルスの祈りの消えた世界は、きっと滅ぶに違いない。
「ジェームズ」
 セブルスは僕の名前を呼び、咎めるような眼で僕を見た。僕はその瞼にくちづけ、彼の瞳を閉ざす。
「なんでもないよ」
 世界は僕が救うから、君はきっと狂ってしまえ。











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2011.01.01.
ジェムズの独占欲とセブルスの世界愛。
セブルスは自分を犠牲にするけどわかりにくい人だと思います。


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