彼の好きなものは例えばビー玉などのガラス細工。日の光に透かして見るのがとりわけ気に入りのようだった。きらきらと光って綺麗だと、目を細めてうっとりという君の方が余程綺麗だと、云いたかったけれど信じてもらえなかったらと怖くて、ただそうだねと頷いた。


鱗の愛情
[胸の痛み]






 夏は暑くて、思考するのも億劫になるから、あまり好きじゃない。アイスクリームや氷や、そういう冷たいものが好きだと言うと子供のようだとからかわれるけど、少しでも冷たいものをと求めているだけなのだった。
 しかし家計は火の車。氷なんて買っている余裕はなく、僕は今日も家の中で茹だるような暑さに耐える。暑い暑いと一分間に三度は口に出していると、源の家に行って涼もうかな、とちらりと浮かんだ。
「ヨーコちゃん。春華?」
 家の中で呼んでも返事がない。さっき二人で出掛けてくると云っていたような気もする。夏は全ての機能が鈍くなるから、好きになれない。――― このタイミングはもしかしてラッキーなのかな、と着替えて源の家に向かった。
 源の好きなものは例えばチョコレート。人の甘さを憎む彼は自らの口をその芳醇な香りで満たして満足する。チョコレートには意識の緊張をほぐす作用があるらしい。だとすれば彼も緊張を強いられているからこそ、その嗜好品を好むのだろうか。考えてみれば源家当主、その重圧は大きいのだろう。馬鹿な子供、と呟いた。
 源家に着いてみると、源は何やら国のお偉い様の前で祈祷中とのことだった。やれやれ御苦労なことで。しかしそれでは僕の目的は何一つ果たされない。
「渡辺さん、エドワーズさんはいるの?」
「ええ」
「じゃあ通して」
 源の家臣にエドワーズのことを云ったのは初めてだった。主君を気遣って止めるのかと思いきや、渡辺はあっさりとエドワーズの部屋まで勘太郎を案内した。
「源は怒るかも知れないよ」
「あなたの行動については私は何も云われておりませんので」
 そう来るか、と笑う。一宮家と違ってだだっ広い屋敷のどこぞに渡辺が消えてから部屋の扉をノックした。扉が開き、今日も長袖神父服のエドワーズが出迎える。
「今日はどうしたのですか?」
「暑いので涼みに来ました」
 正直に云えば彼はおかしそうに笑う。もっとも、彼はいつだって笑顔を崩さないので、僕にその真意が読み取れるのかと云えばそうでもない。しかしそれこそ不要のものだ。心の底をわかりあう必要は二人の間にはなく、ただ上辺だけをなぞればいい。だからエドワーズの好きなものを僕は知らない。袴だって本当に好きなのか、怪しいと睨んでいる。
 いつもならばやることは一通りやってしまうのだが、今日は暑くなるから絶対に嫌だと云い張って、広いベッドを占領して涼む。ああ極楽。
「……勘太郎さん、私は何をしてさしあげればよろしいですか?」
「あなたが僕に出来ることなんて何もないですよ、エドワーズさん」
 にっこり笑い、寄せ付けずに夜までそうしていた。分厚いカーテンに遮られ、蝉の声が遠い。夏という季節を忘れるほどの静謐。別れ際の言葉の応酬が煩わしくて、彼が少しの間部屋を出た隙に、こっそりと源家を後にした。
 家に帰ると柔らかな明かりが灯り、味噌汁の匂いがしていた。
「ただいまー」
「あっ勘ちゃんっ!」
 女の子特有の高い声と共に、ぱたぱたとヨーコちゃんが走ってくる。
「もーっどこ行ってたのよ! 晩御飯食べちゃってるわよ!」
「ごめんごめん」
 でもどこに行っていたかは云えない。云ったら心配するどころではないのだから。こういうのって、親心というのだろうか。
 居間では春華が愛用の茶碗を使いながら食事中だった。僕を見て「お帰り」と云うので、
「ただいま」
と僕も微笑み、ヨーコちゃんから山盛りのごはんがよそわれた茶碗を受け取る。一口、二口と食べる間に、お風呂沸かさなきゃ、とヨーコちゃんはまた小走りに駆け行く。
 白米を噛みながら、何か物足りないと思った。
「春華」
「なんだよ。飯くらい黙って食え」
「うん。――― あのね、好きだよ」
 にっこりと、春華が好きなビー玉にはまるで敵わないだろうけれど、せめて少しでも好きになってくれるように、笑んだ。
 すると春華の耳がみるみるうちに赤く染まっていく。
「……そういうこと簡単に云うんじゃねえよ……」
 その反応でもうすっかり満足してしまいそうになるけれど、肝心な言葉をまだ引き出せていないので続ける。
「春華は僕のこと、好き?」
「あのなあ……」
「ちゃんと答えるまで僕、諦めないからね」
 訊くと、春華は三秒ほど静止してから、怒ったように睨んだ。目を真っ直ぐに見据えて、次の瞬間の口の動きが少し怖い。緊張して、身体が動かない。
「好きだ」
 硬直は解けないまま、ぞくりと何かが背中を這ったような気がした。他の誰に云われてもないこの身体反応。胸の奥がチクリと痛んだことに、僕は気付かない振りをした。





 僕の好きな人は気高く清らかで美しい君。
 ただ一人と云えない僕と知らずにどうか愛して下さい。











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2009.06.21.
勘太郎視点の春勘です。
春勘です(大事なことなので二回以下略。
ふらふらするけど春華が一番好きだと云い張る勘。


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