!!!Warning!!!
以下は現代パロディです。
太子は売れっ子童話作家、妹子は政治を学ぶ大学生です。





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 ねえ、一緒に寝ようよ、と太子が云った。
 僕は一瞬息を詰め、どうしたんです、という言葉と共にゆうるりと吐きだした。
「雨が」
 降っているから、と今朝から変わらぬ、ふにゃふにゃとして輪郭のない調子で答えて、同じようにふにゃふにゃと捉えどころのない顔でこちらを上目遣いで見やった。彼の云う通り、窓の外では夜半からの雨が止まず、それどころかますます勢いを増して降り続いていた。けれども分厚いガラスの窓はいつも通り、傍を通る電車の音と一緒に雨音も遮断しており、雨が降っていることなど容易に意識の外に締め出された。
「雨が」
 どうしたんです、と僕は優しく尋ねた。太子は僕の布団の中に首から下を埋め、僕はその脇に座し、本を読んでいた。彼はその様子をじっと眺めたまま数時間を過ごし、そして、冒頭の言葉を放った。唐突に。
「雨は」
 どうもしないよ、と太子は応じる。そうして、静かだと呟くように云った。雨だから?
「雨の」
 せいではありませんよ、と僕は考えながら話す。太子には時折愛情が不足していると思う。それを容れる器に罅が入っているから、どんどん流れていってしまうのだ。僕はその罅を直し、それから愛情を注ぎこむ。けれど注いでいくと、負荷がかかってまた亀裂が入る。その繰り返し。罅ができると、太子の輪郭は少しおかしくなる。奇行に走るときもあれば、幼児のような眼をすることもある。きっと完全な器がないと、人はうまく自分を保てないんだろう。でもそれなら、完全な器って、どういう形なんだろう。
「雨だから」
 本でも読もうと思ったんですが、ほったらかしにしてしまいましたね。すみません。謝って本を横に置く。太子はじっとその本を見詰め、次に緩慢な仕草で僕の眼を見た。変なの、と素朴な様子で云う。
「雨なんて」
 この家の中では関係ないのに。いつでも二人きりみたい、この部屋の中。その言葉はひどく魅力的で、そして破滅的に聞こえた。
 完全な器の形、と連想して最初に思いついたのは、矢張りハート型だった。僕の、そして彼の胸で脈打つ心臓をデフォルメした、その完璧な曲線。底は深く、ちょっと手を伸ばしたくらいでは届きそうもない。人、一人くらいやすやすと仕舞い込めるそれはまるで、棺のような。
「雨が」
 止んだら、外に遊びに行きましょう、と太子の好みそうな言葉を選んだ。これではまるで騙しているようだ。僕にはその自覚があった。彼が僕に抱く愛着が途切れぬように、けれど明るくて鮮やかな世界でないと、彼の器は随分と壊れやすいから、二人きりの閉じた世界にはならぬように。緩い緩い拘束。この雨のような。――― きっと、僕の器は完璧ではないんだろう。僕は思う。少し歪で、多分、裏返したらハート型、そんな天邪鬼な形。少し小さくても脆くても、太子のと同じ形だったら、良かったのに、ああ、
「雨」
 太子が僕の目尻をひょい、と撫でる。おいで。僕は従って布団の中に入り、彼の腕の中にすっぽりと収まって、途切れた会話を続ける。桜は少し散ってしまったでしょうが、まだ花見はできますよ、あんたの好きなものばかり詰めて、お弁当持っていきましょう、犬も寄ってくるかも知れませんし。
 聞いているのかいないのか、太子は僕の髪をふやふやと触っている。心が弾んでいるのが雰囲気で伝わってきて、もうちょっとで輪郭が戻る手応えを感じた。早く晴れたらいいですね、と云うと、うん、と答えが返ってきた。大好き、妹子、とまたも唐突に彼は云い出す。いつものことだ。ねえおまえといるとなんだか眠くなるの、なんでかな? さあ、僕が知るわけないじゃないですか。ふふ。太子が笑う。ふふ、おまえ、ふにゃふにゃって、子供みたい。あんたに云われたくないですよ、と答えて、ああ太子の器が直ったなあとわかった。眠い眠い、と太子は口の中でもごもごと唱えながら目を擦る。ねえ妹子、好き、と、それだけ云い残して、太子は規則正しい寝息を立て始めた。
 残された僕の輪郭はとろけてしまった。彼と一緒に眠るなんて、できそうもなかった。











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2010.01.31.
ずっと傍にいて欲しくて、見えない目隠しをしているつもりの妹子と
そんなの関係なしに妹子が大好きな太子。
最近、お互いが大好きなのに、
根本的にこの二人はわかり合えない気がしています。
ちなみに、タイトルは春琴抄の「春は名のみや 風の寒さや」から。


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