ふと気付くと大分目方が減っていた。少し頬がこけただろうか、と盥の水に浮かぶ自分の顔を眺める。芭蕉さんに訊いても、俳句にしか能のない彼が曽良の外見などそう記憶しているわけはないので最初から訊かない。――― そう云えば、食事の量が最近少ない。
「曽良くん、それ食べないの?」
「僕はもう充分です。芭蕉さん、どうぞ」
「わーいありがとう!」
 こんなやりとりを何度繰り返しただろう。芭蕉さんの血色が良いのは、そのせいか。
 何故、食事の量が減っているのだろうか。曽良は自問した。食欲がないわけではない。もともと食が太い方ではないが、体重を維持するだけは欲しているつもりでいた。現に今も起き抜けにも関わらず、朝食に何を作るかと考えている。朝は白いご飯と熱い味噌汁と、少しのおかずがあれば良い。しかし、食事の用意が済んで芭蕉さんを呼び、いざ食事を始めるとなると箸の進みが遅い。落ち着きのない師匠を見ていると、彼がいつ味噌汁をこぼすか、今日はどこに米粒をこぼすか、今日のおかずは喜んで食べているだろうかと、彼の箸が動く度に注意してしまうのだ。口元を見てはもっとゆっくり噛めと云い、手元を見ては迷い箸をするなと叱咤する。そうしている内に彼の食事は済み、その食べている様を見ていた曽良まで食欲が満たされたような気になってしまうのだ。
「ご馳走様! 今日もおいしかったよー、曽良くん」
「お粗末さまです」
 彼は本当においしそうに、幸せそうに食欲を満たす。しかしそれは誰のどの料理に対してもほとんど等しく向けられる幸福の表情だった。彼にはあまり好き嫌いがないのである。だから曽良は旅先でも彼のために食材を手に入れては料理をすることが度々ある。勿論、彼の恍惚の表情を独占するためだと自覚の上で。彼の食事の様子を見ているだけで、曽良の欲は満たされる。――― 人間の三大欲求には色欲、食欲、睡眠欲があると云うが、色欲と食欲には互換性があるのだろう。色欲が満たされた時、食欲は最早必要とされないのではないのだろうか。
 けれど、このままでは曽良の体調管理が危うい。色欲がなくても生命活動は維持出来るが、食欲がなくては維持できないのは自明である。そして芭蕉さんが目の前にいる限り、曽良が色欲を捨てることは不可能である。曽良にとって芭蕉さんは、毒になっても薬には到底なりそうもない。
 朝餉が済めば、今日も旅路を行く日々である。あと二、三日歩けば、次の町に着くだろう。町にあるのは八百屋や宿屋ばかりではない。大衆食堂のような飯屋もあるに決まっている。次の町に着いたらきっとこう云おう。「ちょっと用があるので」――― して昼食は一人で摂る。彼のいないところでひっそりと、食欲を満たそう。彼の昼食の心配は無用だ。夜には腕を揮って彼に料理を供すれば、きっとそんなことなど忘れるだろう。まったく、薬にも毒にもならないほうが、まだましというものだ。もっとも曽良は、芭蕉にとって薬となるつもりなんて、毛頭なかった。











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2009.08.18.
原作中の4コマに続く。
あれは絶対、こういうことだと思うんですよ。


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